田中博ノート

探偵小説研究会の田中です。雑誌等に書きっ放しになっている文章や、手元にある未発表の文章を掲載しています。

2006-10-23 ジャンルと歴史と教養

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以下、ただの自己保身的な言訳です。私に興味がない人は、読まなくてもいいです。

 

二階堂黎人によるHP「黒犬黒猫館」の「恒星日誌」に、2006年9月23日付けで【本格評論の終焉(8)】という文書が掲載され、そこに私の名前が出ている。そのことを契機に、少し、自分の考えていることを述べてみたい。

1.経緯

まずは、経緯を説明しておこう。この一連の騒動(東野圭吾『容疑者Xの献身』の評価を起点とした議論)に関して、私は、2006年1月16日に「私信」を二階堂へ送付した。同日、二階堂から求められた公開の要請を了承し、それが二階堂のHP上に掲載されることになった。その「私信」には、当該の問題について「無責任なようですが、今後も、名指しされない限り、田中は出て行くつもりはありません。」と書いた。その理由として「自身が、今、“現場”にいない……という感覚があります。今回も、ベスト投票を回避しましたし、ともかく、ミステリ批評の場面で自身がどういうスタンスで立てばよいのかがピシッとこないのです。そんな奴がノコノコ出て行く場面じゃないよな……と考えたわけです。」と書いている。

その後、公の場ではないが、笠井潔や、千野帽子や、探偵小説研究会の他のメンバーとの色々な意見交換を通じて、自身の「スタンス」なるものを考え続けた(それは、特に『容疑者Xの献身』問題に限らない)。「CRITICA」創刊号に書いた「『ガラスの村』試論」は、自身の過去の思考を拾いつつ、そうした「スタンス」の見直しを企図したものだったが……結局、うまくいかなかった。そんな感覚を末尾の文章に集約したつもりだ。

 批評はどう対処すべきか? 正直、私は迷っているわけだが……少なくとも、従来の「探偵小説」の枠組に固執することでは対応不可能なのではないか、と考えている。一歩、二歩、三歩くらい退いた所から、あらためて「探偵小説」を根拠付けていくこと……ひょっとしたら、その結果として「探偵小説」の根拠なるものが見失われてしまうかもしれないが、そうした一見「探偵小説」とは無縁な作業が必要だと考えている。

つまり、とりあえず出した結論は……

「“現場”にいない」という感覚は、単なる怠惰のせいではなく(正直なところ“怠惰”もあるけれど)、今まで自身が用いてきた批評の方法が機能不全を起こしており、原理的・理論的なところから考え直さないと、これから先はないよなぁ……ということだった。だから、7月に「ミステリマガジン」編集部の方から、例の「現代本格の行方」のコーナーに書きませんか? と、お誘いを受けた時も遠慮させていただいたし、自身の過去の文章を読み直したりしながら、反省の日々を送ってきた(なんて書くと、妙に深刻ぶっているようで気恥ずかしいから付言しておくと、その間、生活人として日常的にはバカ話して酒飲んで、けっこう楽しく過ごしていました)。その「反省」は、まだ終わっていないし、この段階で意見を表明するのは、少々問題があるのだが……

妙な形ではあれ――つまり、前述した2006年9月23日付けの「恒星日誌」で、二階堂は私について「田中博氏は、評論家として物事の真実を理解している方の人物だ。」と褒める形で「名指し」してくれている。ただ、そこで評価されている“ジャンルにおける歴史教養主義”のようなことが、自身の「反省」のネタの一つでもあるので、ここは何か言っておくべきではないか……と考えたわけだ。

もちろん、例の「私信」を遣り取りした段階では、私の「反省」は実質的には始まっておらず、その後の経緯について二階堂は何も知らないわけだから、ここで「二階堂が田中を誤解している」――というイチャモンもつけるものではない(“それ以前”の誤解もあるようだが、今のところ、それを問題にするつもりはない)。ともかく、現時点で、二階堂の田中評価と、私自身の考えに齟齬が生じており、それについては、やはり弁明するべきではないか――と考えたわけだ。

2.ジャンルという問題

ジャンルの問題を入り口にしてみたい。今回の「反省」を始める前に、私は、小説があり→その中にミステリがあり→その中に“本格ミステリ”がある……という風に考えていた。いや……概念の構造というか語義的・論理的にそういうことになっているのは自明であるとしても、問題なのは、その概念的な構造をジャンルの実態(具体的な作品群の付置関係及び生産・消費関係)が律儀になぞっていると暗黙のうちに前提していた――ということだ。そして、その前提に依存する形で……小説に関する一般理論(“純小説的叙述”を中心とした「理論」)をもって本格ミステリにアプローチし、返す刀で「本格」を批評することによって小説一般を考え直す――という作業を行ってきた(つもりだ)。それが、間違っているのではないか? と思いついた。その必然性を保証していたのは、ジャンル依存的言説空間の制度でしかないのではないか?

ようするに「ジャンル」というものが、制度的抑圧から逃れれば、ジャンル依存言説は閉塞する。ここでいう「ジャンル」とは、狭い意味では「本格」とか「ハードボイルド」あるいは「ミステリ」「SF」「純文学」みたいなものであり、広い意味では「小説」「絵画」「映画」「アニメ」「ゲーム」のようなものでもある。しかし……現在進行形の言説空間の変容は、“狭い”とか“広い”という差異がなくなってきているのではないか? さらに言えば“近い”も“遠い”もなく短絡する傾向が無視できなくなってきているのではないか? 「ミステリ」は同じ「小説」である「純文学」のアタマ越しに(歴史的経緯を無視して)異種メディアである「アニメ」や「ゲーム」とジャンルミックスしてしまう……これは、もちろん「純文学」でも、同じようなことが起こっているだろうし、基本的に、あらゆる所で起こっていることなのだろう。

今までの私の方法は、異種メディア問題も一応のところ視野には入れていたにしろ、それを言語芸術ジャンルに還元し、ミステリに還元し、「本格」に還元する……そういうことだった(あるいは、「本格」の問題をミステリに開き、その問題をまた言語芸術に向けて開くということだった)。例えば……どんなに「アニメ」の影響を受けていても、それは「小説」として書かれているわけだから、「小説」の問題に還元してから論じれば“禊は済んでいる”――みたいなものだ。だから「理論」と気張って思い込んでも(当然のことながら)その適用範囲におけるジャンル構成の順序というか、包含関係的なヒエラルキーを前提にしていたわけだから……まぁ、機能不全を起こしてもしょうがねぇ……ってことになる。

こんなことは、広い世間では、かなり前から露呈していたのだろう。しかし、「本格」という求心力の強いジャンルで仕事をしているうちに、そこらへんにウスウス危機感を持ちながら鈍感に振舞っていたと思う。逆に言えば、そうした「本格」の求心性に依存することで色々なトピックスとの“わたり”“引っかかり”をつけることができたのだ。例えば、現代思想だの、実験小説だの、物語だの、メタだの、テクストだの……1980年代的なトピックを後追いするみたいに、やりくりできた……というか、それで、何か言った気になれた。しかし、そういう言説は、穴埋めでしかなかった――ということだ。

ところが、私の仕事と関係なく……穴は埋まってしまった。慌てた私は、保守反動化して、歴史教養主義者のような振る舞いをする道を安易に選択した――というか、ブチブチ文句や愚痴を言いながら、自身の方法の機能不全を、そこらへんの教養で誤魔化すように凌いできたわけだ。

しかし、今回の騒動において(特に笠井潔の挑発に対して)そういう誤魔化しじゃ対応できないことが明らかになり……理論を見直す反省の道に入ったわけだ。その反省については、いずれ何らかの形で(多分、このブログで)詳細を述べるつもりだが、ここでは、歴史教養主義について、自身の立場を明らかにしておこう。

前述したように、ジャンルを保証する言説空間の制度が緩めば、小説の生産及び消費の現場において「歴史」「教養」の果たす役割は変容する。以前であれば、ジャンル固有の歴史性があり、作品を生産するにも享受するにも、それに対する教養が必要とされた(ということになっていた)。そうした抑圧的な構造が、新しいジャンルの歴史を作ってきたし、作品の再生産過程にバイアスをかけ、そのバイアスがジャンルの輪郭を保ってきた。具体的には文壇という生産者ギルドとか出版体制があげられるだろう。しかし……良し悪しはともかく、そういう状況が変わってきている。

3.本格ミステリというジャンル

ここで、身近な「本格ミステリ」に例をとって、具体的に考えてみよう。綾辻行人のデビュー(1987年)を契機とした“新本格”ムーブメントの中核を担ったのは、大学のミステリ研究会出身者であり、彼らは、ジャンルの歴史性に意識的であり、その歴史性に対して反発するにしろ、ともかく蓄積を呑み込み消化して作品を生産した。それが「若い世代」の「新しい作品」ということだけでは、あれだけのインパクトを発揮しなかったろうし、言説空間の反応も一過的なものだったろう。様々な問題に遡行しうる前述したような“引っかかり”を内包していたのだ。

しかし、それを享受する側は(少なくとも、その一部は)、その作品に表れた意匠について、ジャンル固有の歴史性を無視した形で(あるいは積極的に忘却する形で)流用することにより作品を解釈・構築することになる。

おそらく、その発端は京極夏彦の登場(1994)であったろう。「本格探偵小説――シジフォスに朝はまた来る」の最終回で、「一種のアンチ・ミステリ的な傾向に棹差していることは確かだとしても、京極の作品は、笠井潔が述べるところの『形式の累積による重力崩壊』的な求心性を欠いているのだ。」と述べたが、京極には、いわゆる「ジャンルにおける歴史教養主義」のようなものは希薄だ。しかしながら、彼の作品は、結局のところ「本格ジャンル」に受け入れられた。

その後の「メフィスト賞」路線にしても、毀誉褒貶ありつつ「本格」ジャンルは呑み込んでいった(少なくとも言説のネットワークで俎上に載せられた)。それは、何よりも、そもそもの“新本格”が、従来の「本格」観を更新し、従来の「非・本格」的要素を「本格」としてプレゼンテーションするテクニックを構築し、形式化し(あるいは過去の蓄積を活性化し)、多様な作品を受け入れるフィールドを開いていたからだ。

「本格」は、そのフィールドを曖昧にでも見通せるジャンルとなった。これは、一種の矛盾である。それは、一方で「本格」のジャンル的強度を示すものであるが、一方では「歴史教養主義」的なものの衰退を助長した。

もちろん、シーン内部の状況は、モノトーンで一方向的なものではない。“新本格”第一世代の作家は仕事を続けているし、その後、新しく登場した作家・批評家にも「歴史教養主義者」的心性を保持している者はいる。それは、それでいいし、そういう立場もあり得るだろう。ジャンルが蓄積してきた「歴史」にしろ「教養」にしろ、“無かったこと”にはならないし、そこから摂取できる栄養というか、搾取できる財産はあるに違いない。私が言いたいのは、「歴史」や「教養」が無駄なものだ――ということではなく、それが従来果たしてきた役割が失効し、任意の一項目として短絡的なジャンルミックスと等置され、ジャンル外的必然性に抗しえなくなった……なりつつある……なっていくだろう……ということなのだ。

4.スタンス

そうしたジャンル状況において、自身のスタンスとして、私は「ジャンル歴史教養主義」的なものからは離れようと考えている。そもそも、創元推理評論賞の佳作に滑りこんだ「探偵小説ノート」(1995)は、当時残存していた江戸川乱歩的・中島河太郎的な探偵小説史観に対して、別バージョンを……一般文芸理論を密輸するような形で提示することが目的であったわけで、一種のジャンル批判であった。「本格探偵小説――シジフォスに朝はまた来る」(2000)くらいまでは、そのジャンル批判的モチーフで自身をドライブしてきたと思うし、本格シーンも私のモチーフにフィットした混沌というか、スリリングな状況にあった……と、思うことができた。

しかし、前述したとおり、シーンは私の仕事とは関係なく(むしろ、それとズレるような方向へ)動き、適応不全の私は、批判対象であった「歴史教養主義的なもの」の保全に加担するようになっていたと思う。それを許したのは、ジャンルヒエラルキーに基づいた理論であったことは、前述したとおりである。

で……その理論を見直すことにしたわけだ。具体的に言えば、ジャンルヒエラルキーを遠くから眺め――「純小説的叙述」なるものを中心から周縁に置き直し――「リアリズム」の(あるいは“リアル”の)根拠を問い直し――「小説の一般理論」という“底”を「表象の一般理論」にまで開き――特にテクノロジー問題を中心に、ジャンル教養的なものとは違う「歴史性」において考えてみたい……ということだ。まぁ、キャパシティのない酔っ払いのことだから、たいした成果は見込まれないというか……やれることは限られていると思うが、そんな場所から「探偵小説」「本格」に“ちょっかい”を出す……そんなスタンスをとりたいと考えている。