田中博ノート

探偵小説研究会の田中です。雑誌等に書きっ放しになっている文章や、手元にある未発表の文章を掲載しています。

2007-02-15F・キットラーと反省

[][] メディアと反省と

先月、本屋で『グラモフォン・フィルム・タイプライター』(F・キットラー)の文庫版をみつけて、思わず買ってしまった。

単行本の方を刊行当時に買って読んではいるのだが、部屋全体がゴミ箱状態で、どこかへ紛れてしまって……「CRITICA」の第2号用原稿を書き始めており、このブログでちょこっと触れたメディア論的なことを柱にしようとている身としては、やっぱり読み直しておくべきかなぁ……と。

で、読み直しているのだが、やっぱり面白い。蓄音機・映画・タイプライターというものの発明と20世紀的な認識の構造の関係を、様々なエピソードや小説や批評的言説を拾いつつ素描している。もちろん、1986年に本書を刊行したキットラーのモチーフには、現在のコンピュータ社会というか、デジタルデータが溢れかえるネット環境まで射程に入っており、“その”起源を問う――みたいな出来上がりになっている。

ただ……そうしたモチーフから、“言葉”にはチョット冷たいというか……そこらへんは、今書いている原稿でフォロウしないといけない。そもそも、私の“純小説的叙述”なるものは、ジャーナリズムの爆発的な発展を背景にした19世紀後半以降の状況の分析に基づいている。活版印刷により大量に生産され、流通する“言葉”の姿に注視したわけだが、同時代的に、キットラーが注目する聴覚・視覚の再編も行われ、記録・伝達システムの劇的な変容があったわけで、そこらへんまで議論の底を開いてみれば……以前書いた「近代小説の自律的システム」を相対化して、現代にも適応可能な“小説論”ができるはずなのだ。

できるかな……俺に……

2007-01-08小鷹信光と反省

[][] 思い出と反省と

私のハードボイルド―固茹で玉子の戦後史

私のハードボイルド―固茹で玉子の戦後史

この『私のハードボイルド 固茹で卵の戦後史』について、e-NOVELS「週刊書評」第270回に書いたので、まず、そちらを読んでみてください。

さて……ハードボイルドについて、私は、e-NOVELSに掲載されている「本格探偵小説――シジフォスに朝はまた来る」の「番外編」や、「週刊書評」の第231回(チャンドラーの問題/『THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ』矢作俊彦)で論じている。特に、後者では、日本におけるレイモンド・チャンドラー受容史をダイジェストしてみせたりしているわけだが、それは、子引き・孫引きに自身の遡行的印象を継ぎ接ぎしてデッチ上げたシロモノで、小鷹の同時代的経験に基づいた現場立会い的記述に対抗できるものではない。小鷹の五十年にわたる蓄積に、脱帽しないわけにはいかない。本書で、色々と知らなかったことを教えられた。もし、現在時点で前述した文章を書くとすれば、少し変わったものになるだろう。そう……“少し”だけ。というのも、私は本書を、とても安心して、何故か懐かしく読んでしまったのだ。

ここで、私の“思い出話”をさせてもらう。1963年生まれの私は、中学生の頃から、意図して海外ミステリを読み始め、面白くて、夢中になった。その中心はエラリイ・クイーンだった。ある冬の日、下校途中に寄った本屋さんで、雑誌「EQ」(光文社)の創刊号を見つけて興奮した。クイーン(F・ダネイ)と松本清張の対談が掲載されているではないか! 買いたかったけど、お財布の中のお金は足りず、家に戻ってお金を補充して本屋へ取って返したのを覚えている(多分、ちょっとくらい走ったと思う)。ちなみに、早川書房の「ミステリマガジン」は、近所の本屋さんに置かれていなくて、駆け出しの文庫本読みの中学生にとって、その存在は「どこかに、そいうものがあるらしい……」くらいのものだった。

この「EQ」を定期購読することで、私の世界は広がった。色々な作家を知ったし、文庫解説が教えてくれなかったコンテンポラリイな情報が載っていたのだ。同時に、「EQ」には“名作発掘”のような回顧的企画も多く、英米黄金期(1920~1930年代)の本格作品を中心に読んでいた中学生にも楽しめる雑誌だった。つまり、私は「EQ」で勉強(?)したし、そこでミステリに関する基礎的な“教養”を摂取した。『私のハードボイルド 固茹で卵の戦後史』でも触れられているが、小鷹は「EQアメリカーナ」という連載で、ハードボイルド以前からアメリカのミステリを辿る作業を行っていた。西部劇のガンマンに私立探偵小説のヒーローの起源をみようとする感覚や、O・ヘンリーをミステリの文脈から論じる手際に、本格中心主義だった中学生は目を開かれた思いがした。当時、翻訳が進んでいた“ネオ・ハードボイルド”の作品にも手を伸ばすようになり……つまり、小鷹信光は、私の先生だったのだ。近所の本屋さんでは物足りなくなって、大きな本屋さんへ出かけて、それこそ「ミステリマガジン」も購入するようになったし、古本屋へも行くようになった。

その後、色々と脇道に入り込み「ハードボイルド」とも疎遠になってしまったし、私のハードボイルド観も、小鷹先生直伝のものからはズレていると思う。しかし、その底に……小鷹による“刷り込み”というかバイアスが抜き難くある――そのことを、今回、『私のハードボイルド 固茹で卵の戦後史』を読んで確認したわけだ。それが、前述した「とても安心して、何故か懐かしく」読んだという感覚を呼び起こしたのだと思う。

 

で……ここからが[反省]

こうした“思い出話”は、果たして、どれくらい有効なのだろうか? もちろん、小鷹のようなキャリアと蓄積があれば、それは立派な仕事になる。しかし、少なくとも私レベルでは、せいぜい同世代読者の……さらに似たような経験をした極めて少数の共感を誘うくらいだろう。実は、上記の“思い出話”は、「週刊書評」を書いているうちに、つい筆が走ってしまった部分に手を入れたものだ。つまり、書評という形態には相応しくない――ここで、俺のこと書いてもしょうがねぇよなぁ……と考え、カットしたわけだ。

まず、それを、この「田中博ノート」に書いてしまう……ということが問題だ。ここも公開されているわけで、プライベートな日記でも内輪向けのブログ・掲示板でもない。一応、商業誌に批評家ヅラして原稿を書いている身としては、色々と気を使わねばならない。しかし、とりあえず“俺のブログ”だから……ま、いいか……みたいな気分がある。「週刊書評」には相応しくなくても、ここではOK――この感覚は、問題にしてみてもよい。色々と“書く=読んでもらう”場面があるというのは、使いようによっては便利だが……いわゆる“お仕事”の文章、この「田中博ノート」の文章、「研究会日乗」の文章、EQFCへの文章 etc……そこらへんの関係を、ちゃんと整理しないとグズグズになる……

もちろん、場面場面で書く態度を変えるというのは、何もインターネット関係に限らず、書く雑誌の傾向を意識したり――求められている文章はどんなものか? と忖度したり――など、色々とある。しかし、インターネットとか、ブログとか、掲示板とか、そこらへんのメディアの機能として、やっぱり、プライベートとオフィシャルなものの間にある様々な障壁の色々な“閾値”を踏み倒して、その曖昧さを露呈する機能ってのが、多分、ある。

私より若い世代――「インターネットが当たり前」という人たちには、それに対応する機制が自然と身についているのかもしれないし「何を今さら……」みたいなことなのだろうが、三十代半ばからオズオズとネット環境に参入した輩には、その感覚が実に怪しい。

ともかくも、ネットとかブログなんてものがなければ、公開されなかったであろう「この文章」が、公開されてしまう(今回は“わざわざ”公開した側面もあるが)――その一事をとってみても、言説空間におけるテクノロジー問題の一端を垣間見ることができる。それが、例の「歴史・教養主義」の問題にも跳ね返ってくる。

何かしらの自己表現が公共化されるには、以前には様々な障壁があった。たとえ、それが商売至上主義的なものであっても、制度的な淘汰過程があり……以前も書いたが、それがジャンルの再生産過程と密接に結びついていた。しかし、インターネットの普及に代表される情報の流通・蓄積量の増大は、そこに楔を打ち込んだ。誰も、それらの情報をフォロウしきれないし、フォロウしようとすれば限定的な領域に追い込まれざるを得ない。情報の淘汰は、制度的に保証されなくなり――結局、以前に要求されていた“そのジャンル”に対する歴史・教養主義的なものが、少なくとも“前提”としては必要条件ではなくなりつつある。ミステリの歴史など無視したって、優れた作品は書かれる――というか、その作品の評価において歴史・教養主義的尺度の果たす役割が機能不全を起こす。そういう所にきているのではないか……少なくとも、なりつつあるのではないか……

で……批評はどうするのよ……ということで、また、反省房に戻ります。

2006-11-11日常と反省

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昨日の金曜日は、「2007 本格ミステリ・ベスト10」(原書房)の作品レビューの締め切りなのであった。私も、少しだけ書いたのだが……この原稿って、一応、これがランク・インしたら誰が書く――と、事前に打ち合わせて割り振りはしているのだが、実際に順位が決定してみると、一人の人にレビューが集中しちゃったりするわけで、バタバタと調整したりなんかして、けっこうタイトなスケジュールになってくる。私も、準備はしていたものの……昨日はビールを3リットルほど嚥下しつつ、頑張りました。

しかし……この“飲まなきゃ書けない病”はなんとかせんとなぁ……歳とってきて、身体がもたなくなってきている――アルコール・エンジンの燃費も悪くなって……まぁ、書く・書かないにかかわらず、日常的に飲んでいるわけで、根本的には“飲まなきゃ生きていけない病”なのだが……

さて、私が、どの作品について書いたかは……もちろん秘密。今回の「本ミス」は、過去十年を振り返る企画とか、いつものレギュラー・コンテンツ以外にも色々と趣向をこらしているので、楽しみにしていてください(宣伝モード)。

明日の日曜日(11月12日)は、文学フリマの日。探偵小説研究会も参加して、夏のコミケに続いて、「CRITICA」創刊号の販売を行います。当日の責任担当者は、蔓葉信博。円堂都司昭も出かけるらしい。他には、誰が行くんだろう? 俺はどうしようかな……お天気次第だな。夏のコミケに行きそびれ、通販もめんどくさいし……という人は、秋葉原へ来てください(宣伝モード)。


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この前に書いた「ジャンルと歴史と教養」の補足です。

やっぱり、言訳がましいので、私に興味がある人以外は読まなくていいです。

 

二階堂黎人の他にも、『容疑者Xの献身』を端緒とした議論において“名指し”で私に言及した論者が二人いる。蔓葉信博と笠井潔である。この二人とは、探偵小説研究会の場で色々と意見交換をしており、あらためて本人に“対応”する必要はないのだが――ひょっとして、気にしている人がいるかもしれないし(いないとしても)、二人の言及に対する私の態度が例の“反省”にも絡んでくるので、「ジャンルと歴史と教養」の補足として、少し述べてみたい。

蔓葉は、「ミステリマガジン」2006年10月号の「現代本格の行方」のコーナーに「刻印開示」という文章を書いている。笠井が展開する議論の理論的な質を問う過程で、私を引き合いに出している。

 私見では「大量生=大量死」理論に拮抗しえたかもしれないのは、田中博が小説誌「EQ」および、e-NOVELSで展開していた「シジフォスに明日はまた来る」ぐらいではなかろうか。現在、過度な発言をひかえている田中博が、もし当時のような旺盛な発言力を取り戻したらどのような展開を見せていただろう。この夢想は、それらの理論が互いに反論しあっていることを指摘したいのではない。それらを照らし合わすことにより、同一性と差異性がはっきりし、どちらにより説得力が見いだせるのかをぼんやりと想起させる。

沈黙は金――というか、黙っていたせいで、二階堂も蔓葉も、私を褒めてくれているようだ(ずっと、黙ってればよかったかな……)。ただ、前回に述べたように、黙っていたのには、それなりの理由があるわけで、それは笠井理論に係わってくる問題なのである。

ここでいう“笠井理論”とは、直接的に「大量生=大量死」理論というわけではない。「大量生=大量死」理論については、そのインパクトを認めつつも、それに対する違和感や自分なりの読み替えを、機会あるごとに表明してきたつもりだ。「シジフォスに明日はまた来る」にも、そうした距離感は書かれている(だからこそ、蔓葉も言及したのだと思う)。

ただ、その批判的スタンスは、要するに、文芸理論に基づいていた。前回に反省したような、ジャンル・ヒエラルキーに基づく理論……一種の“小説中心主義”みたいな……様々な問題も、それを“小説”の問題に還元してしまえば、それなりに有効な論が立つ――小説の自律的メカニズムの問題に翻訳できる……という前提に基づいていたわけだ。

もちろん、自律的メカニズムといったところで、それが限定的なものであることくらいは承知していた。この世のものは、全て“自身ではないもの”との関係で自身を形作っている。何事かが起ち上がるには、なにがしかの条件があり、どれほど“自律的”にみえようと、それは様々な外的状況に条件付けられている。私の文芸理論が用意していた“外的状況”は、言葉の流通過程というものであり、今までの仕事でスポットを当てたのは、19世紀後半に爆発的に発達したジャーナリズム、それと相補的なリテラシー教育の普及――その結果としての大衆社会で遣り取りされる“言葉の姿”というものだった。

それが“小説”のふるさとであり、そこから先は……現代まで一本道、様々な“小説”的問題は、そこまで遡って考えれば、クリアできる――なんだかんだ言ったって「小説」だろ? フローベールだろうが、ポオだろうが、中里介山だろうが、村上春樹だろうが、赤川次郎だろうが、“新本格”だろうが、舞城王太郎だろうがブッタ斬れる(すべて、関連付けて布置可能である)――その理論は、それこそ(ちょと語義矛盾的だが)自律的な弁証法的システムとして“小説”を捉えることで、(少なくとも)近代的歴史性を確保している――と考えていた(それが自惚れだとしても)。

そんな大雑把なフォルマリスト的欲望を持つ私にとって、笠井のように19世紀/20世紀/21世紀という屈折を発掘し、律儀に社会状況と小説を対応させていく方法は……ジャンル外的な条件問題に意識的な点で多くの共感があるにしても(だから、今回の挑発も、それなりに身に応えたわけだが)、私のスタイルとはズレる――というか、蔓葉の言葉を借りれば、やはり、ちょっと「議論の理論的質」に違いがあったのだと思う。まぁ……元気であれば、自身の“小説中心主義的理論”を引っさげて論争に参加していたかもしれない。蔓葉が“夢想”したような事態になったかもしれない(結果は、面白くもない議論のスレ違いにしかならなかったと思うが)。

まぁ……あんまり元気じゃなかったということだ。前回の「反省」で書いたように、振りかざしてきた理論なるものが疑わしくなってきていた。さっき「フローベールだろうが、ポオだろうが、中里介山だろうが、村上春樹だろうが、赤川次郎だろうが、“新本格”だろうが、舞城王太郎だろうがブッタ斬れる」と書いたが、実は、舞城については何か手応えがなかった。空振りしてるんじゃないかな……と。e-NOVELSの週刊書評で三回も舞城を取り上げたが、どうもシックリこない。

ただ、それを“言説空間の変容”という状況のせいにして、自身の理論については、そのまま温存していた。いきおい、例の“小説の自律的メカニズム”という図式の中で作品をいじくり回すルーチンワークで誤魔化すことになる。そこらへん「誤魔化してるなぁ」という自覚はあって、それが「“現場”にいない……」という感覚になっていたわけだ。


で……笠井による田中評価の話に移ろう。「CRITICA」創刊号に収められた「第三の波の帰趨――ジャンルを取り巻く『言説』の配置」という諸岡卓真と小森健太朗との対談で、『容疑者Xの献身』の評価問題について、笠井は、こう発言している。

 なにも新しいものはないが、既成本格コードの組み合わせの妙に着目して、この作品を高く評価する立場がある。評論家でいえば鷹城宏や円堂都司昭や田中博ですね。こうした立場は、「端正な本格」と共通するところもあるでしょう。

また、「ミステリマガジン」2006年12月号の「現代本格の行方」のコーナーの「ベルトコンベアは停止した――コメンテイトとクリティックの差異」という文章で、笠井は――

 20世紀精神の一形態である探偵小説を論じる者が、不可避なものとして到来した21世紀的な環境性に無自覚なまま、『容疑者Xの献身』を「後発者の技術(スキル)」云々の文学主義的な観点から絶賛してしまう無自覚性こそが、根本的に批判されなければならない。佳多山大地だけでなく、濤岡寿子、円堂都司昭、鷹城宏、大森滋樹などの評論家も『容疑者Xの献身』を本格ミステリ大賞に推している。いずれも「古典的形式をクリエイティブに再構築する後発者の技術(スキル)」を評価する点で、佳多山と立場を共有しているようだ。田中博や千街晶之も同様の観点から、この作品に相対的に高い評価を与えている。

と、書いている。

確かに、私は、笠井が言うような観点から『容疑者Xの献身』を高く評価した。「本格ミステリ・ベスト10」でも、本格ミステリ大賞でも投票を棄権したが、『容疑者Xの献身』については「面白い」「良い作品だ」と公言していた。そして“ある意味で”そうした評価は間違っていない――と、今でも思っている。

ただ、そうした私の『容疑者Xの献身』評価が、前述したような「“小説の自律的メカニズム”という図式の中で作品をいじくり回すルーチンワーク」でしかないことも、また確かであり、その点では笠井の批判を甘んじて受け入れる。笠井の言い方からすれば、ベルトコンベアで流れてくる卵の選別作業にすぎない……ということだ。

繰り返すが「“ある意味で”そうした評価は間違っていない」――選別作業のどこが悪い? 21世紀精神なんて知ったことか! という開き直りも、それなりの正当性を持つ。本格ミステリというジャンルを中心に考える限り、歴史・教養主義的に、それは避けられない一つの立場なのだ。


で……役割分担みたいな俗な話になる。自身を省みて、基本的に「ジャンルの歴史・教養主義」を担う立場じゃねぇよなぁ……と思っている。この業界には、マニアというか、それこそ“鬼”のような“ミステリ読み”がいて、彼らが蓄積しているジャンルに関する知識・教養は、到底、半端者の私の及ぶ所ではない。「歴史・教養主義的」路線は、そうした適任者たちにまかせよう。そこには生産的なものがあるはずだ。ジャンルヒエラルキーの秩序の混乱はジャンルの崩壊とイコールではないし、歴史・教養が担う役割の変容はそれらの無価値に帰結するわけではないし、そこからジャンル外の様々な事象へアプローチすることだって可能なはずだ。

で……おいらは、どうするのよ? ということだが、半端者は半端者らしく、この前も書いたように、初心に返ってジャンルの外に片足置き、そっちに重心をかけていこうと考えている。そうした係わり方も、ジャンルにとって無駄ではあるまい。

ここで、問題なのは、以前ならジャンルヒエラルキーに従順な理論が背景にあったおかげで、「本格」のことをやっていれば(ルーチンワークであっても)それは、必然的にリニアに、ジャンル外の問題に通じているという安心感があったわけだが、自分の中で、そんな保証がなくなっちまったわけで――そうなると、『大菩薩峠』の話から本格ミステリに戻る道は保証されていない――もちろん、むしろ短絡的な思考・志向は活性化されて“楽”になるかもしれないが、こればっかりは、やってみないと分からない。トンチンカンなことになるかもしれない……。ただ、やはり、スタイルとしては、迂遠なフォルマリスト的な考察になるはずだ。笠井の述べる21世紀精神なるものにダイレクトに繋がることはあるまい。まぁ、お似合いのことを、やれるだけやる――ということで、反省房に戻ります。

2006-11-01『大菩薩峠』と「反省」

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今日、仕事の帰りに本屋へ寄ったら――『ザ・大菩薩峠』を見つけた。

ザ・大菩薩峠―『大菩薩峠』全編全一冊

ザ・大菩薩峠―『大菩薩峠』全編全一冊

帯には「『大菩薩峠』全41巻1,533章570万字遂に全一冊化なる!! 文庫本20冊分がコンパクトな1冊になって6冊分で買えます」とある。スバラシイ! 迷わずレジへ持って行った。

奥付をみると、2004年の9月10日発行――もう、2年も前に出ている。う……うかつだった。全然、知らなかった。『大菩薩峠』ファンのくせに、これは恥ずべきことだ。実は……私は、『これだけは知っておきたい名作時代小説 100』(2004/9/23・フィールドワイ)というガイドブックで、『大菩薩峠』の項を担当していたりもする。

この原稿を書いたときに「最新版は何かな」と、一応あたったはずだが……記録を調べると、原稿を送付したのは2004年8月13日――タッチの差だったわけだ。まぁ、この『ザ・大菩薩峠』(1冊本)は、文字は小さいし、ルビは( )の中に入れられて本文と同じラインにぶら下がっているし、読みにくいこと甚だしく、解説も書誌データも何もない代物だから、他人に「これで読め」とは言いにくい。やっぱり、最初に読むなら、20冊あっても(お金がかかっても)、ちくま文庫版をお勧めしたいので、知っていても『ザ・大菩薩峠』を最新版として紹介しなかったろうけど……


しかし……あの『大菩薩峠』が1冊になっているというのは、やっぱり魅力だ。電話帳サイズで「コンパクト」と言えるかどうか微妙だが……枕元に置いておけば、いつでも好きなところを開けるわけだし……あの熱い、暑苦しい言葉の群が塊となってこの1冊に凝縮されていると考えるだけで、何かジーンとくる。手にしているだけで……手の中にスバラシイものを所有しているのだ……と、心が温かく優しくなる……


私が『大菩薩峠』を読んだのは大学生の頃。当時刊行中だった富士見時代小説文庫版で読み耽った。学生時代で時間に余裕があったことも幸いして一気読みした。面白かった。それだけでなく、色々と“小説”というものについて考えさせられた。この小説があるということで、日本近代文学は揺るぎない価値を確保できる――と、興奮した。で……何の因果か、運命の女神の導きか、翌年に大学の国文専攻のゼミで『大菩薩峠』が取り上げられ、私は心理学専攻だったにもかかわらず、そのゼミに乱入したのであった。

で……そのゼミのレジュメに書いた「作者-話者-読者」の関係に関する考察が……例の「純小説的叙述」を中心とした私の“文芸理論”の基となっている。もちろん、エラリー・クイーン・ファンクラブの機関誌「Queendom」にクイーン論を書いていたし、探偵小説についても色々思いを巡らせてもいたし、当時の読書データベースに占める探偵小説濃度は濃かったけれど、「純小説的叙述」云々は、実は、そっちの文脈から出てきたわけではないのだ。具体的サンプルが『大菩薩峠』で……理論的な背景は『言語にとって美とはなにか』(吉本隆明)だけが手がかりだった。

定本 言語にとって美とはなにか〈1〉 (角川ソフィア文庫)

定本 言語にとって美とはなにか〈1〉 (角川ソフィア文庫)

その後、ニューアカだのバフチンだの前田愛だのベンヤミンだのバルトだの……そんなのと色々と考え合わせて、「純小説的叙述」なるものをヒネリ出したわけだが、その第一歩は中里介山と吉本隆明だったわけだ。


で……何が言いたいかというと……例の「反省」の問題である。前回の(10月23日付けの)文章で……

具体的に言えば、ジャンルヒエラルキーを遠くから眺め――「純小説的叙述」なるものを中心から周縁に置き直し――「リアリズム」の(あるいは“リアル”の)根拠を問い直し――「小説の一般理論」という“底”を「表象の一般理論」にまで開き――特にテクノロジー問題を中心に、ジャンル教養的なものとは違う「歴史性」において考えてみたい……ということだ。

と、書いたが……そうした理論の見直しについて、そもそもの始まりであった『大菩薩峠』に一役かってもらおうと考えている。ミステリ・ジャンルとは一見無縁だが、そこまで退いてから考え直さないといかんよなぁ……ということなのです。

さらに具体的には……そのうちにね……

2006-10-23 ジャンルと歴史と教養

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以下、ただの自己保身的な言訳です。私に興味がない人は、読まなくてもいいです。

 

二階堂黎人によるHP「黒犬黒猫館」の「恒星日誌」に、2006年9月23日付けで【本格評論の終焉(8)】という文書が掲載され、そこに私の名前が出ている。そのことを契機に、少し、自分の考えていることを述べてみたい。

1.経緯

まずは、経緯を説明しておこう。この一連の騒動(東野圭吾『容疑者Xの献身』の評価を起点とした議論)に関して、私は、2006年1月16日に「私信」を二階堂へ送付した。同日、二階堂から求められた公開の要請を了承し、それが二階堂のHP上に掲載されることになった。その「私信」には、当該の問題について「無責任なようですが、今後も、名指しされない限り、田中は出て行くつもりはありません。」と書いた。その理由として「自身が、今、“現場”にいない……という感覚があります。今回も、ベスト投票を回避しましたし、ともかく、ミステリ批評の場面で自身がどういうスタンスで立てばよいのかがピシッとこないのです。そんな奴がノコノコ出て行く場面じゃないよな……と考えたわけです。」と書いている。

その後、公の場ではないが、笠井潔や、千野帽子や、探偵小説研究会の他のメンバーとの色々な意見交換を通じて、自身の「スタンス」なるものを考え続けた(それは、特に『容疑者Xの献身』問題に限らない)。「CRITICA」創刊号に書いた「『ガラスの村』試論」は、自身の過去の思考を拾いつつ、そうした「スタンス」の見直しを企図したものだったが……結局、うまくいかなかった。そんな感覚を末尾の文章に集約したつもりだ。

 批評はどう対処すべきか? 正直、私は迷っているわけだが……少なくとも、従来の「探偵小説」の枠組に固執することでは対応不可能なのではないか、と考えている。一歩、二歩、三歩くらい退いた所から、あらためて「探偵小説」を根拠付けていくこと……ひょっとしたら、その結果として「探偵小説」の根拠なるものが見失われてしまうかもしれないが、そうした一見「探偵小説」とは無縁な作業が必要だと考えている。

つまり、とりあえず出した結論は……

「“現場”にいない」という感覚は、単なる怠惰のせいではなく(正直なところ“怠惰”もあるけれど)、今まで自身が用いてきた批評の方法が機能不全を起こしており、原理的・理論的なところから考え直さないと、これから先はないよなぁ……ということだった。だから、7月に「ミステリマガジン」編集部の方から、例の「現代本格の行方」のコーナーに書きませんか? と、お誘いを受けた時も遠慮させていただいたし、自身の過去の文章を読み直したりしながら、反省の日々を送ってきた(なんて書くと、妙に深刻ぶっているようで気恥ずかしいから付言しておくと、その間、生活人として日常的にはバカ話して酒飲んで、けっこう楽しく過ごしていました)。その「反省」は、まだ終わっていないし、この段階で意見を表明するのは、少々問題があるのだが……

妙な形ではあれ――つまり、前述した2006年9月23日付けの「恒星日誌」で、二階堂は私について「田中博氏は、評論家として物事の真実を理解している方の人物だ。」と褒める形で「名指し」してくれている。ただ、そこで評価されている“ジャンルにおける歴史教養主義”のようなことが、自身の「反省」のネタの一つでもあるので、ここは何か言っておくべきではないか……と考えたわけだ。

もちろん、例の「私信」を遣り取りした段階では、私の「反省」は実質的には始まっておらず、その後の経緯について二階堂は何も知らないわけだから、ここで「二階堂が田中を誤解している」――というイチャモンもつけるものではない(“それ以前”の誤解もあるようだが、今のところ、それを問題にするつもりはない)。ともかく、現時点で、二階堂の田中評価と、私自身の考えに齟齬が生じており、それについては、やはり弁明するべきではないか――と考えたわけだ。

2.ジャンルという問題

ジャンルの問題を入り口にしてみたい。今回の「反省」を始める前に、私は、小説があり→その中にミステリがあり→その中に“本格ミステリ”がある……という風に考えていた。いや……概念の構造というか語義的・論理的にそういうことになっているのは自明であるとしても、問題なのは、その概念的な構造をジャンルの実態(具体的な作品群の付置関係及び生産・消費関係)が律儀になぞっていると暗黙のうちに前提していた――ということだ。そして、その前提に依存する形で……小説に関する一般理論(“純小説的叙述”を中心とした「理論」)をもって本格ミステリにアプローチし、返す刀で「本格」を批評することによって小説一般を考え直す――という作業を行ってきた(つもりだ)。それが、間違っているのではないか? と思いついた。その必然性を保証していたのは、ジャンル依存的言説空間の制度でしかないのではないか?

ようするに「ジャンル」というものが、制度的抑圧から逃れれば、ジャンル依存言説は閉塞する。ここでいう「ジャンル」とは、狭い意味では「本格」とか「ハードボイルド」あるいは「ミステリ」「SF」「純文学」みたいなものであり、広い意味では「小説」「絵画」「映画」「アニメ」「ゲーム」のようなものでもある。しかし……現在進行形の言説空間の変容は、“狭い”とか“広い”という差異がなくなってきているのではないか? さらに言えば“近い”も“遠い”もなく短絡する傾向が無視できなくなってきているのではないか? 「ミステリ」は同じ「小説」である「純文学」のアタマ越しに(歴史的経緯を無視して)異種メディアである「アニメ」や「ゲーム」とジャンルミックスしてしまう……これは、もちろん「純文学」でも、同じようなことが起こっているだろうし、基本的に、あらゆる所で起こっていることなのだろう。

今までの私の方法は、異種メディア問題も一応のところ視野には入れていたにしろ、それを言語芸術ジャンルに還元し、ミステリに還元し、「本格」に還元する……そういうことだった(あるいは、「本格」の問題をミステリに開き、その問題をまた言語芸術に向けて開くということだった)。例えば……どんなに「アニメ」の影響を受けていても、それは「小説」として書かれているわけだから、「小説」の問題に還元してから論じれば“禊は済んでいる”――みたいなものだ。だから「理論」と気張って思い込んでも(当然のことながら)その適用範囲におけるジャンル構成の順序というか、包含関係的なヒエラルキーを前提にしていたわけだから……まぁ、機能不全を起こしてもしょうがねぇ……ってことになる。

こんなことは、広い世間では、かなり前から露呈していたのだろう。しかし、「本格」という求心力の強いジャンルで仕事をしているうちに、そこらへんにウスウス危機感を持ちながら鈍感に振舞っていたと思う。逆に言えば、そうした「本格」の求心性に依存することで色々なトピックスとの“わたり”“引っかかり”をつけることができたのだ。例えば、現代思想だの、実験小説だの、物語だの、メタだの、テクストだの……1980年代的なトピックを後追いするみたいに、やりくりできた……というか、それで、何か言った気になれた。しかし、そういう言説は、穴埋めでしかなかった――ということだ。

ところが、私の仕事と関係なく……穴は埋まってしまった。慌てた私は、保守反動化して、歴史教養主義者のような振る舞いをする道を安易に選択した――というか、ブチブチ文句や愚痴を言いながら、自身の方法の機能不全を、そこらへんの教養で誤魔化すように凌いできたわけだ。

しかし、今回の騒動において(特に笠井潔の挑発に対して)そういう誤魔化しじゃ対応できないことが明らかになり……理論を見直す反省の道に入ったわけだ。その反省については、いずれ何らかの形で(多分、このブログで)詳細を述べるつもりだが、ここでは、歴史教養主義について、自身の立場を明らかにしておこう。

前述したように、ジャンルを保証する言説空間の制度が緩めば、小説の生産及び消費の現場において「歴史」「教養」の果たす役割は変容する。以前であれば、ジャンル固有の歴史性があり、作品を生産するにも享受するにも、それに対する教養が必要とされた(ということになっていた)。そうした抑圧的な構造が、新しいジャンルの歴史を作ってきたし、作品の再生産過程にバイアスをかけ、そのバイアスがジャンルの輪郭を保ってきた。具体的には文壇という生産者ギルドとか出版体制があげられるだろう。しかし……良し悪しはともかく、そういう状況が変わってきている。

3.本格ミステリというジャンル

ここで、身近な「本格ミステリ」に例をとって、具体的に考えてみよう。綾辻行人のデビュー(1987年)を契機とした“新本格”ムーブメントの中核を担ったのは、大学のミステリ研究会出身者であり、彼らは、ジャンルの歴史性に意識的であり、その歴史性に対して反発するにしろ、ともかく蓄積を呑み込み消化して作品を生産した。それが「若い世代」の「新しい作品」ということだけでは、あれだけのインパクトを発揮しなかったろうし、言説空間の反応も一過的なものだったろう。様々な問題に遡行しうる前述したような“引っかかり”を内包していたのだ。

しかし、それを享受する側は(少なくとも、その一部は)、その作品に表れた意匠について、ジャンル固有の歴史性を無視した形で(あるいは積極的に忘却する形で)流用することにより作品を解釈・構築することになる。

おそらく、その発端は京極夏彦の登場(1994)であったろう。「本格探偵小説――シジフォスに朝はまた来る」の最終回で、「一種のアンチ・ミステリ的な傾向に棹差していることは確かだとしても、京極の作品は、笠井潔が述べるところの『形式の累積による重力崩壊』的な求心性を欠いているのだ。」と述べたが、京極には、いわゆる「ジャンルにおける歴史教養主義」のようなものは希薄だ。しかしながら、彼の作品は、結局のところ「本格ジャンル」に受け入れられた。

その後の「メフィスト賞」路線にしても、毀誉褒貶ありつつ「本格」ジャンルは呑み込んでいった(少なくとも言説のネットワークで俎上に載せられた)。それは、何よりも、そもそもの“新本格”が、従来の「本格」観を更新し、従来の「非・本格」的要素を「本格」としてプレゼンテーションするテクニックを構築し、形式化し(あるいは過去の蓄積を活性化し)、多様な作品を受け入れるフィールドを開いていたからだ。

「本格」は、そのフィールドを曖昧にでも見通せるジャンルとなった。これは、一種の矛盾である。それは、一方で「本格」のジャンル的強度を示すものであるが、一方では「歴史教養主義」的なものの衰退を助長した。

もちろん、シーン内部の状況は、モノトーンで一方向的なものではない。“新本格”第一世代の作家は仕事を続けているし、その後、新しく登場した作家・批評家にも「歴史教養主義者」的心性を保持している者はいる。それは、それでいいし、そういう立場もあり得るだろう。ジャンルが蓄積してきた「歴史」にしろ「教養」にしろ、“無かったこと”にはならないし、そこから摂取できる栄養というか、搾取できる財産はあるに違いない。私が言いたいのは、「歴史」や「教養」が無駄なものだ――ということではなく、それが従来果たしてきた役割が失効し、任意の一項目として短絡的なジャンルミックスと等置され、ジャンル外的必然性に抗しえなくなった……なりつつある……なっていくだろう……ということなのだ。

4.スタンス

そうしたジャンル状況において、自身のスタンスとして、私は「ジャンル歴史教養主義」的なものからは離れようと考えている。そもそも、創元推理評論賞の佳作に滑りこんだ「探偵小説ノート」(1995)は、当時残存していた江戸川乱歩的・中島河太郎的な探偵小説史観に対して、別バージョンを……一般文芸理論を密輸するような形で提示することが目的であったわけで、一種のジャンル批判であった。「本格探偵小説――シジフォスに朝はまた来る」(2000)くらいまでは、そのジャンル批判的モチーフで自身をドライブしてきたと思うし、本格シーンも私のモチーフにフィットした混沌というか、スリリングな状況にあった……と、思うことができた。

しかし、前述したとおり、シーンは私の仕事とは関係なく(むしろ、それとズレるような方向へ)動き、適応不全の私は、批判対象であった「歴史教養主義的なもの」の保全に加担するようになっていたと思う。それを許したのは、ジャンルヒエラルキーに基づいた理論であったことは、前述したとおりである。

で……その理論を見直すことにしたわけだ。具体的に言えば、ジャンルヒエラルキーを遠くから眺め――「純小説的叙述」なるものを中心から周縁に置き直し――「リアリズム」の(あるいは“リアル”の)根拠を問い直し――「小説の一般理論」という“底”を「表象の一般理論」にまで開き――特にテクノロジー問題を中心に、ジャンル教養的なものとは違う「歴史性」において考えてみたい……ということだ。まぁ、キャパシティのない酔っ払いのことだから、たいした成果は見込まれないというか……やれることは限られていると思うが、そんな場所から「探偵小説」「本格」に“ちょっかい”を出す……そんなスタンスをとりたいと考えている。