田中博ノート

探偵小説研究会の田中です。雑誌等に書きっ放しになっている文章や、手元にある未発表の文章を掲載しています。

0000-01-03 文学と理論

[] 文学と理論  ヴァン・ダインの探偵小説をめぐって


本稿の前半部は、「日本探偵小説概論」(「創元推理」13号)及び「本格探偵小説-シジフォスに朝はまた来るー」 (インターネット・サイト“e-NOVELS”に連載)で展開した議論を一部なぞっている。すでに、拙稿を読んでいただいている読者には申し訳ないが、議論の前提として必要と考え、あえて重複を避けなかった。前半部に興味を持たれた方は、前述した文章を参照していただきたい。


1 イントロとしての大量死理論

 私は世界大戦中二ヵ年前線勤務をして、身の毛もよだつ姿をしたたくさんの死体を見てきたが、この殺された男をひと目みたとたんに、強烈な嫌悪感をおさえかねた。フランスでは、死は、避けようにも避けられない、毎日の生活の一部となっていたが、ここでは、あらゆる周囲の組み立てが、致命的な暴力という観念とは対立していた。輝かしい六月の太陽の光が室内にそそぎこみ、あけはなった窓からは、町の騒音がひっきりなしに、そのざわめきをつたえ、いかにも不協和な音ではあるが、平和で、安全で、秩序ある社会生活のいとなみを連想させていた。

(ヴァン・ダイン『ベンスン殺人事件』 井上勇訳 創元推理文庫 37頁)


「それは今度の大戦以来」とヒースは補足した「軍人どもは人を射つのをなんとも思っていませんものね。向うで、血を見るのになれっこになってしまったんですね」

(同書 165頁)


「何百万という兵隊が戦争で殺されたが、その事実をもってしても、君の白血球はそこなわれもせず、君の脳細胞は炎症を起こしもしなかった。それなのに、君の管轄区域で、ひとりのくだらない男が、ありがたいことに射ち殺されただけのことで、君は夜の目もねずに、汗みず流している。なんたることぞやだ。君って、まったく矛盾してる」

(同書 288~289頁)

笠井潔が提唱する「大量死理論」は、英米黄金期(1920~30年代)の本格探偵小説の背景に、第一次世界大戦というトピックを置く刺激的な理論である。塹壕戦と新兵器で大量生産されたボロ屑のような死体は、個としての死者から尊厳性を剥奪し、“死”の概念を変容させた。そうした20世紀的状況に対して、本格探偵小説は、被害者の卑小な“死”を、犯人の巧妙なトリックと探偵の精緻な推理という二重の光輪で飾ることによってアイロニカルに復権させる試みである……また、登場人物を謎解きゲームのパズルのチップに還元してしまう前衛性において、19世紀文学における“人間”概念が破壊された場所に起ちあがった20世紀モダニズムやシュールレアリスム等の文学運動に共鳴しているということになる。

冒頭に、S・S・ヴァン・ダインのデビュー作『ベンスン殺人事件』(1926)から、大量死理論に引っかかるような部分を引用してみた。もちろん、笠井が主張するのは、単なるキャラクター設定や作中人物の言動、あるいは風俗的な描写として第一次世界大戦が探偵小説に接続しているということではない。黄金期本格の構造そのものに大量死の衝撃が刻印されているということなのだが、冒頭の引用には前線と銃後の、あるいは大戦中と戦後の断絶に関するヴァン・ダインの(あるいは彼の探偵小説に必要とされた)認識のようなものが反映されている。最初のものは“ヴァン・ダイン弁護士”(作者と同名の語り手)が、ベンスン氏の射殺死体と対面する際にもらす感想。二番目はヒース部長刑事の台詞、そして三番目は名探偵ファイロ・ヴァンスがマーカム地方検事を揶揄する台詞である。きわめてシニカルでありながら、どことなく言い訳じみたインテリの屈折した感覚が伝わってくるようだ。第一次世界大戦とは、近代的な「知」が経験した一つの大きな屈折点であった。ここでは「死」よりも「知」に重点を移し、私なりに笠井の大量死理論を読み換えてみよう。

近代における知は、19世紀を通して、たとえば国民国家という大きなイデオロギー=イデオロギーの回収・配当回路へ接続する欲望を保持しながら、一方で、そのような現実に介入する特権性を失っていくことになる。産業資本下の分業体制に取り込まれ、国家による管理下に従属し、様々な審級を通過することでイデオロギーの回収回路を求心的にたどる知があり、他方で外在的・批判的に振る舞いながら、大衆化され商品化され「言葉」に乗って流通し、消費される知がある。エドガー・アラン・ポオ以来の探偵小説という商品に乗ったのは基本的には後者の知である。しかし、二つの知は混在し、例えば一人の人間においても並存可能であったろう。この二つの知の境界を曖昧にしていたインテリに引導を渡したのが、第一次世界大戦である。国家は、あからさまに自身を指さしながらイデオロギーを回収し配当し、国民を動員し、混在していた二つの「知」に分裂を強いた。戦争予算案可決におけるドイツ社会民主党の振る舞いに象徴されるように、ここでインテリさんたちは手痛い挫折感を味わうことになる。

「日本探偵小説概論」において、私は、黄金期本格探偵小説を支えたのは“亡命者的諦念”に基づいた知であると述べた。“亡命者”とは、分裂を強いられ、国家イデオロギー(大きなイデオロギー)から絶縁された片身の知の象徴である。スイスのチューリッヒに亡命した欧州知識人によって構想されたダダイズムが、20世紀モダニズムに先鞭をつけたように、第一次世界大戦の勃発によって「手の届かないところで何かが起こっている」という衝撃によってもたらされた英米インテリさんの諦念のようなものが、黄金期本格の知的側面に反映しているのだ。

ポオや、コナン・ドイルや、R・A・フリーマンの探偵小説は、いささか啓蒙主義的で特権的な知という衣装をまとっていたが、黄金期本格においては特権的な知は排除され、作者と読者に共有されうる知がゲームの賭け金となる。ヴァン・ダインは、この側面を「探偵小説作法二十則」(1928)という形で明確にマニフェストし、犯人あて謎解きゲーム小説を理論化し、実作においてはスノッブな衒学趣味で武装するというスタイルを生み出した。

野崎六助は『北米探偵小説論/決定版』(1998)の153頁で、ヴァン・ダインに触れ「ファイロ・ヴァンス物語は、合衆国の参戦によって自己解体に瀕したリテラリー・ラディカルの意識の影なくしては構想できなかったものだ」と述べている。おそらく、ヴァン・ダインとは、第一次世界大戦にショックを受けた、大衆的インテリさんの一典型であったろうし、だからこそ一世を風靡しえたのだろう。ニーチェ主義者であり、美術批評家であったヴァン・ダインが、探偵小説という形式に託したのは、前時代的な啓蒙主義では処理できない知のあり方に対する、自嘲的でかつ真剣な開き直りであったのではないか? その開き直りの徹底性において、ヴァン・ダインは確かに一歩を踏み出したのだ。

イギリスの黄金期本格が、どこか前時代的なゴシックロマンスの道具立てや田園小説的な郷愁を引きずっているのと対照的に、ヴァン・ダインの作品は、そうした意匠を形式化=抽象化することで黄金期本格の骨格を剥き出しにしたようなツクリになっている。後発のエラリー・クイーンなどは、出来合いの「黄金期本格」という形式をいじくって尖鋭化していくわけだが、ヴァン・ダインの作品には、まさに形式の生産に立ち会っているような緊張感がある。眼高手低という批判も納得できるし、弱点が多いのも確かだ。しかし、私が「黄金期本格」と聞いてイメージするのはファイロ・ヴァンスの探偵物語である。典型といってもよい。そして、典型とは、実はありふれたものではなく、あるスイートスポットに立つことができた者だけに許される一種の特権的な地位なのである。


2 平林初之輔と江戸川乱歩

ヴァン・ダインは1929年に日本に紹介され、センセーションを巻き起こす。翻訳されたのは1928年に刊行された第三長編『グリーン家殺人事件』(訳題は『グリイン家の惨劇』)。本国で刊行された翌年には翻訳されているわけで、当時としては異例のスピードといってよい。黄金期の本格作家としては、極めて早い時期の紹介である。ヴァン・ダインは好評をもって迎えられ、彼を先導役として同時代の黄金期本格作品が日本に輸入される状況が作られていく。

訳者は平林初之輔である。平林は、大正から昭和初年代に活躍し、「種蒔く人」の創刊にも係わった初期プロレタリア文学運動の理論家だが、探偵小説にも強い関心を寄せ、「新青年」などに多くの批評を掲載し、自ら小説も執筆している。平林は単なる翻訳家としてヴァン・ダインに関わったわけではない。1931年にパリで客死するまでの短い期間に、いくつかヴァン・ダイン関する文章を残している。

1930年の11月に「改造」に書かれた「ヴァン・ダインの作風」という文章では、ヴァン・ダインの作品は、アメリカ作家にありがちな通俗味から脱してイギリスの小説のような風格があり、しっかりしたツクリになっていると説き起こす。そして、大仏次郎を引き合いに出し、大仏の『赤穂浪士』(1927~8)が大衆文学のレベルを少し高めて芸術性と現実性を与えたとしたうえで、それと同様にヴァン・ダインを高く評価している。要するに“高級な娯楽作品”というわけだ。平林は、1926年に「新青年」に寄稿した「探偵小説壇の諸傾向」において、当時の探偵小説の傾向を、健全派=正木不如丘・甲賀三郎、不健全派=江戸川乱歩・小酒井不木・横溝正史・城昌幸、という二派に色分けし、不健全派に偏向している状況を嘆いているくらいだから、ヴァン・ダインの理知的な作風を評価しても不思議ではない。

しかし、その背景には、もう一つのモチーフがあったとみるべきだろう。平林がプロレタリア文学の理論家であったことは先に触れたが、この時期、彼は教条主義的なマルクス主義文学運動に距離をとりはじめている。内部対立の様相を強めていくプロレタリア文学運動に対して違和感を感じたようだ。1927年には、雑誌「太陽」の編集主幹に就任したことを契機に、「文芸戦線」同人・労農芸術家連盟・プロレタリア芸術連盟からの脱退を宣言する。プロレタリア文学運動に対する懐疑は、1929年の「新潮」3月号に掲載された「政治的価値と芸術的価値」という文章において決定的となる。マルクス主義者として、文芸作品における「政治的な価値」の優位を肯定しつつも、「芸術的価値」の相対的自律性を認めるこの文章は、文壇に一種のスキャンダルを巻き起こす。

平林はプロレタリア文学運動から出発しながら、それを相対化していく。このような「大きなイデオロギー」へ接続する意志とその屈折は、ヴァン・ダインと至近距離で共鳴している。1930年の「新潮」6月号に掲載された文芸時評「文芸は進化するか、その他」という文章は、プロレタリア文学、モダニズム文学、新芸術主義、あるいは大衆文学という諸派の錯綜する文壇状況を背景とした考察である。この文章において、平林は「ヴァン・ダインの探偵小説論」という一節を設けて、例の「探偵小説作法二十則」を引用している。「恋愛的興味の排除」「解決の論理性」などを紹介し、続けてこう述べている。

 更に進んで彼(引用者註 ヴァン・ダイン)は『探偵小説にあつてならぬものは長つたらしい説明、余計なことについての芸術的描写、巧みにつくり上げられた性格解剖、雰囲気的先入見。こんなものは犯罪と帰納との記録に何の生命も与へはしない。』と言ってゐる。少なくも探偵小説が、従来の小説の概念に革命を齎しつゝあるといふことを私たちは注意しなければならぬ。それは、能率的、経済的、目的意識的、そして興味の中心を感情の浸透におかないで論理の過程におくといふ点で、少なくも尖端的な、現代的な小説の一タイプである。と言つたからとて私は、探偵小説を最もすぐれた小説といふのではない。たゞ凡ての小説に一律な概念規定を与へて、同一角度からそれを見ようとすることは今や困難になつて来たといふことを指摘するのみだ。芸術派の芸術絶対論はこゝにも難点をもつやうに思はれる。

(『平林初之輔文藝評論全集』文泉堂書店 下巻378~379頁)

つまり、平林は、ヴァン・ダインに、既存の芸術概念を相対化する役割を担わせているのだ。地理的・歴史的条件に文学を還元するテーヌの理論や、マルクス主義文学理論を遍歴したあげく、晩年の平林は映画やモダニズム問題に接近し、ヴァルター・ベンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」(1936)で展開したようなメディア論的唯物主義への志向をみせている。そして、そこにヴァン・ダインが一枚噛んでいるのは興味深い。

笠井は「探偵小説論 I 氾濫の形式」(1998)の45~46頁で「欧州大戦後に精神形成を遂げたプロレタリア文学者の平林初之輔は、一九世紀の社会主義と二〇世紀の共産主義(マルクス=レーニン主義)の時代的な落差を的確に把握していたように、大戦後にジャンル的な自己意識を確立した探偵小説の二〇世紀性について、萩原朔太郎よりもはるかに正確な理解を示している」と評価している。確かに、マルクス主義文学論という(まがりなりにも)文芸の科学を標榜する理論を屈折して通過した平林は、萩原朔太郎に代表される芸術主義とは異なり、文学と理論という問題に敏感にならざるをえない立場にあったといえるだろう。当時の探偵小説文壇においては異色な地位を占めていたというべきだ。

この平林の姿勢と対照的なのが、江戸川乱歩である。乱歩は、『グリーン家殺人事件』が翻訳される以前の1928年に、森下雨村から原書を手に入れて『ベンスン殺人事件』(1926)『カナリヤ殺人事件』(1927)『グリーン家殺人事件』(1928)を読んでいる。乱歩は『探偵小説四十年』でその頃を回顧し、次のように書いている。

 徹夜をして一冊を一晩又は二晩ぐらいで読んで、すぐに長い感想の手紙を森下さんに送ったほどだから、相当昂奮はしたのであろう。だが、その感想の手紙は絶賛とまでは行っていない。「アメリカにしては、なかなか立派な作だ。これなら愛読できる」という調子であった。

(講談社『江戸川乱歩推理文庫』第54巻 74頁)

この後に、どうも当時はヴァン・ダインの偉さが解っていなかったようだ……といった調子で、博文館の小型版「世界探偵小説全集」に収録された『グリーン家殺人事件』に自身が付した熱のない感想文を引用している。そんな風に回顧している時点でも、ヴァン・ダインの“よさ”として、ペダントリイや心理的探偵法といった側面を拾っているにすぎない。その他では、『僧正殺人事件』(1929)の童謡殺人というアイディアや犯人像が持つアブノーマルな雰囲気に乱歩らしい共感を示すくらいで、どうも煮え切らない。探偵小説研究家としては「無視するわけにはいかない」というのが乱歩の正直な気持ちだったのではないだろうか。

探偵小説プロパーとして、乱歩は確かに理屈としてヴァン・ダインの主張を正当に理解していたし、その作品を評価してもいる。しかし、それは、あくまでジャンル内的な問題設定においてであり、平林がジャンルをクロスオーバーするような問題意識でヴァン・ダインに驚いてみせたような感覚を欠いていたようだ。むしろ、探偵小説プロパーであるがゆえに、ヴァン・ダインの主張がはらむ問題の本質を取り逃がしてしまったともいえる。

その背景にある事情について、考察を加えてみよう。


3 日本におけるヴァン・ダイン

前述したとおり、戦前の日本において、ヴァン・ダインは一種の旋風を巻き起す。1923年に乱歩が登場して以来、日本の探偵小説文壇は活況を呈していたが、その実態は、英米とはいささか状況を異にしていた。短編中心という発表媒体がらみの問題もあっただろうが、英米黄金期本格のような堂々たる構築性を持つ本格作品は生まれていなかった。いわゆる「変格」と呼ばれることになる作品……怪奇趣味やロマンティックな要素が強い作品が多く、探偵小説シーンはエロ・グロ・ナンセンスという標語に収束していってしまうことにもなる。

ヴァン・ダインが日本の探偵小説に与えた直接的な影響として、浜尾四郎の『殺人鬼』(1931)や、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』(1935)があげられるのが通例だ。ただし、例えばクイーンがヴァン・ダインを足場に“その先”へ進んだのとは異なり、日本の実作場面におけるヴァン・ダインの影響は歪んだ形で結実する。臆面もなくヴァン・ダインのエピゴーネンを目指した浜尾にしても、犯罪の動機や犯人像には時代がかったロマンティシズムがぬぐえないし、語り口も少々ウェットであり、あのシニカルな感覚を継承しえていない。小栗にいたっては、道具立てやペダンティズムを借用しながら、異形の文体と奔放な想像力で形式破壊の領域にまで突っ込んでいってしまう。実作という場面においては、消化不良というか胃酸過多というか……ヴァン・ダインは、ともかく“健全”な形で受容されたわけではない。

当時、ヴァン・ダインがもたらした衝撃の本体は、むしろ、批評的な意味にあったと思われる。探偵小説が知的なエンターテインメントであるということは、その輸入の初期から指摘されていた。しかし、前述したような実作の状況が、そうした批評的言説を規範的な倫理として疎外していく。それでも「探偵小説知的たるべし」という言説は、本格探偵小説の具体例として、ドイルのホームズものやフリーマンのソーンダイク博士ものが念頭に置かれているうちは、まだ“先”があったし、また変格作品が充満する日本の探偵小説界に対する批判的意義は持っていただろう。しかし、ヴァン・ダイン作品が輸入され、完成された高級本格探偵小説という評価を得るに至って風向きは変わる。謎と解明の物語……知的なエンターテインメントのお手本。啓蒙主義的な遠心力より、ジャンルを求心的に組織するような形式性が明示されたのだ。

いわゆる「本格/変格論争」や「探偵小説芸術論争」において、変格派=芸術派が抱えていた問題点は、ロマンティックな芸術概念の残存に足をすくわれていたという点にある。言い換えれば、従来の芸術概念を揺さぶるべく台頭した探偵小説に、ロマンティックな芸術概念を逆輸入するという錯誤を犯したわけだ。現在からみれば奇妙な、この捩れた錯誤は、しかし、様々な文学的意匠を短期間に海外から輸入することになった日本の文壇一般に共通した問題である。したがって、たとえそれが幻想であったとしても、当時としてはせっかちに“まだ見ぬ”新しい探偵小説を模索するというモチーフが切実であったことは確かだし、そうした口調が論争における一種の逃げ道として機能したことは間違いない。一方で、本格派=非芸術派には、そういう逃げ道は存在しなかった。ジャンル論としては正当であっても、面白みに欠ける主張であったことは認めなければならない。何よりも、論争が顕在化したときには、すでにヴァン・ダインの「探偵小説=パズル」という主張が人口に膾炙しており、また彼の作品が一つのモデルとして存在していた。それが一種の限界として機能してしまう。逆説的な言い方になるが、本格/変格論争、芸術論争において、本格派=非芸術派はヴァン・ダインによってすでに息の根を止められていたといってもよい。知的なものが探偵小説に接続する様々なあり方への志向は、むしろ芸術派のロマンティックで曖昧なスローガンに回収され、本格派の主張は、形式性という総論的な枠組みに回収されていく。その枠内で、トリックの独創性とか、推理の見事さという各論に拘泥するようにもなる。

極論してしまえば、ヴァン・ダインの形式性をイデオロギーとして丸呑みしてしまうことで、戦前の日本の探偵小説界は、英米黄金期作品の実質を見極めきれず、経験しないまま“思い出”としてしまう倒錯的な身振りを強いられたのだ。これは、後々まで尾を引くトラウマとして日本の探偵小説論壇に影響を及ぼすことになる。

平林が、ジャンルをクロスオーバーするような視点でヴァン・ダインの形式性をとらえたのを例外として、それを規範として扱うにせよ、批判の対象にするにせよ、日本におけるヴァン・ダイン理論は、探偵小説ジャンルに固有な問題として矮小化されてしまう。結果として、その外部には、相も変わらぬ芸術イデオロギーが野放しに生き延びることになるのだ。


4 文学と理論

文学には、様々な形で理論が関わっている。修辞学とか、詩学などといった古典的なものから、近代以降に批評という形をとって現れることになる理論まで、その形態は様々である。また、個別の文学運動に内在して展開される理論もあれば、社会科学理論や言語学理論が“文学という現象”を扱うこともある。探偵小説というジャンルを、こうした、理論と文学の関係性の中で検証してみよう。

探偵小説が成立した19世紀は、近代的な批評というジャンルが誕生した時代でもある。サロン的なものから脱した文芸ジャーナリズムという場で、文学と批評は相互に意識しあう関係を構築する。ポオをフランスに紹介したシャルル・ボードレールは、一方で詩人であり、また批評家としても一家をなした。雑誌編集者として活躍したポオ自身も、多分に批評的な精神を持っていたことは「メルツェルの将棋指し」(1836)などを見ても明らかだし、「ユリイカ」(1847)にもポオの理論癖は顕著に表れている。特に注目すべきなのは、「構成の原理」(1846)である。

「構成の原理」において、ポオは自身の長詩「大鴉」(1845)の創作過程を自己分析してみせている。「大鴉」は幻想的な詩情の産物ではなく、如何にして一つの発想を効果的に表現するかという散文的な理詰めの構築意識に支えられている……というわけだ。楽屋裏の暴露話としてどこまで本当か眉唾なところもあり、批評的な言説への揶揄……あるいは自身を肴にした皮肉な冗談とも読める。しかし、それが冗談であったとしても(ある意味で、冗談であるならなおさら)ロマンティックな文学趣味を切断するラディカルな意志に貫かれていることは間違いない。また、SF的な作品も残しているポオの科学志向は、エミール・ゾラが「実験小説論」(1880)で展開した「小説と科学の結合」というモチーフと共鳴しており、19世紀以降に生まれた新しい文学と理論の関係を象徴している。こうしたジャーナリスティックな精神……“文学”の外側にある理論に反応し、それを密輸するような貪欲さ……そんな言説空間が、探偵小説の誕生に一役買ったのは確実である。探偵小説は、その出自からして“文学”と“理論”が交錯する近代の文学事情に首まで浸かっているといってもよい。

ただし、ポオが確立したスタイルを継承することになるドイルやG・K・チェスタトンなど……いわゆる黄金期以前の短編時代においては、知的な(理論的な)問題は、小説を彩る一つの意匠として導入される側面が強く、ポオが「構成の原理」で示したような方法論を経由してジャンル外的な理論と接続する志向は弱まっている。ポオのスタンスを前提とすることで方法論的な追及を放棄したといってもよい。そうした一種の安定期……知と小説の緊張関係が緩和された段階をくぐり抜けながら、探偵小説は一定の蓄積を果たしていく。

その蓄積を基本財産として、黄金期本格作品は、改めて探偵小説の方法論を問い直し、新しいスタイルを生み出すことになる。前述したように、第一次世界大戦を象徴的な契機とした亡命者的諦念に基づく「知」を背景に、ポオの方法論が更新され、探偵小説は謎解きゲームとして形式化される。今まで述べてきたとおり、この形式化にヴァン・ダインが果たした役割は大きい。

法月綸太郎は、「現代思想」の1995年2月号<特集メタ・ミステリー>に掲載された「初期クイーン論」(現在“e-NOVELS”で購入可能)において、柄谷行人の考察を手がかりに“形式化”という側面から、ヴァン・ダインの後輩であるクイーンの初期作品を分析している。ヒルベルトの公理主義やゲーデル問題などを援用しつつ、クイーン作品における厳密なパズル主義を、探偵小説ジャンル内での議論を超えた20世紀思想の文脈で読み解こうとする試みである。法月の指摘からも明らかなとおり、形式化という媒介によって、黄金期本格探偵小説は再びジャンル外的な理論と接触する契機を得たといってよい。視点を変えれば、同時代的な知の再編という外圧を内部に繰り込む過程で、探偵小説は自身を謎解きゲームとする形式を生産したのだ。もちろん、法月が展開する議論は、20世紀末から黄金期を回顧した「今から思えば……」といったものだが、事実として黄金期探偵小説は当時のジャンル外理論に話題を提供している。

ジャンル外から探偵小説に関わった理論家の代表が、前述した平林初之輔であり、またヴァルター・ベンヤミンである。どちらも少し風変わりなマルクス主義者であることは注目されてよいだろう。当時の先進国におけるマルクス主義は、近代国家に対立する形で、大衆化という回路にさらされつつ「大きなイデオロギー」に接続しようとした特異な知である。第一次世界大戦という屈折を経ながらも、一方でロシア革命の成功という曲折があり、複雑微妙な振る舞いをマルクス主義者は強いられる。ロシア・マルクス主義直系の理論家たちにとっての探偵小説は、階級闘争という図式の中で“ブルジョア的”とか、社会主義リアリズムからは“頽廃的”といった悪役を振られてしまう。一方で、律儀に唯物論的にテクノロジーや資本主義風俗や大衆の問題に躓いたマルクス主義者は、前世紀から引き続いていた大衆文学の興隆の先端として、あるいは都市的なモダニズムのサンプルとして、探偵小説を真面目な考察の対象として取り上げることになる。前述した“複雑微妙な”マルクス主義の一端が探偵小説と接触して火花を散らすことになる。

探偵小説に限らず、大戦間の文学シーンは様々な理論と接触し、それを方法論的に内在化させていく。シュールレアリスムに精神分析学が導入されるのは、その最もあからさまな例であろう。基本的にはフランス象徴主義の延長でしかないシュールレアリスムが、一つの文学運動として一枚看板を張ることができたのは、精神分析の理論やタームを密輸して、いかがわしい方法論を編み出したからにほかならない。また、そんなシュールレアリスムがブレイクする契機となったダダイズムの芸術破壊運動の背景には、アンチ・ブルジョア芸術というマルクス主義的なモチーフが加担していたことは確実である。フォルマリズムは言語学に接続し、立派になった大衆文学者は社会科学を引き込んで気勢をあげる。

そうした「文学」と「理論」が、ジャンルを超えて交錯するフィールドの中で、黄金期探偵小説を考えてみることは決して無意味ではない。実際のところは、ベンヤミンが「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」(1938)で問題にしたのは、同時代の黄金期作品ではなくポオであったわけだし、ヴァン・ダインが作中に導入した“心理的探偵法”なるものも精神分析以前の俗流心理学の域を出ていない。同時代に直接に影響しあったわけではなく、そこにはスレ違いがあるのも事実である。しかし、いずれにせよ、「文学」と「理論」が互いを食い合う緊張感が、様々な媒介を間に挟みつつ、迂回しながら相互に何かをもたらしたということは信じてよいのではないだろうか。これは、批評家の奢った夢だろうか……


おわりに

前述したように、ヴァン・ダイン輸入以後の日本探偵小説論壇は、基本的にヴァン・ダイン理論による探偵小説ジャンルの囲い込みと、その囲い込みの外側に跋扈する様々な芸術イデオロギーとの相克という図式に収まる議論を展開してきた。戦後に持ち越された乱歩と木々高太郎の「本格派/文学派」論争も、松本清張を巡るリアリズム・社会派問題も、その議論の一方の端には、常に……あからさまに、あるいは暗黙のうちにヴァン・ダイン式パズル理論があったといってもいい。言い換えれば、ヴァン・ダインというトラウマに固着したリビドーによって引き起こされる神経症的な議論であった。

1980年代に入り、ロマンティックな芸術概念がようやく骨抜きにされた文芸ジャーナリズムにおいて、記号論や構造主義やテクスト論、ポスト・モダニズムという風潮に乗って、探偵小説は再びジャンル外からの理論的な介入を受ける(あるいは、そうした理論に素材を提供することになる)。1990年代を通して、それに応接する形で(あるいは、それを利用する形で)ジャンル内探偵小説批評も新しげな衣装をまとって、言説を蓄積してきた。確かに、フェアプレイとか、ゲーム主義などについて、以前のような規範的意識とは異なるアプローチがなされたし、メタフィクション的な趣向についても他ジャンルと接続するパースペクティブを開いた点では、それなりに評価されるべきかもしれない。前述した法月綸太郎の論稿などが、その典型だろう。しかし、それにしたところが、やはりヴァン・ダインの形式化されたパズル主義を踏み台にしているのではないだろうか? ヴァン・ダインが示した形式性というトラウマは、一方でジャンルを閉じる機能を担いつつ、その裏面としてジャンル外の理論に介入の口実を与える二面性を持っている。この呪縛の強さには、やはり驚くべきだろう。探偵小説批評は、いつになったらヴァン・ダインを始末できるのだろう? いや、ヴァン・ダインを始末することなどできるのだろうか? もし、ヴァン・ダインが前述したようなトラウマであるとしたら、それを徹底的に意識化することで神経症的症状を脱するしかない。そうした段階に、探偵小説批評が足を踏み入れているのは確かだが……そこを踏み抜く力を獲得するには、もっと医師と患者のダイアローグが必要であろう。そして、そのダイアローグは、治癒を目指すものではなく、どちらかが壊れるところに行き着くべきなのかもしれない。理論は、その対象とするものに奉仕するものであってはならないのだから。

    東京創元社「創元推理21」(2001年冬号)

0000-01-02 J・D・カーについて

[] やっぱりカーは面白い

ヒネクレタ評論を書いている私も、昔は初心なミステリ読者であった。まず、エラリイ・クイーンにやられた。クイーンの本はズラリと本屋さんに並んでいた。速読力に欠ける中学生の田中君は、これを全部読み終わるのはいつのことだろう……と遠い目をして宝の山を眺めていた。ただ、文庫の解説に導かれたり、その延長で色々なガイドブックに印をつけたりなんかして、ボチボチと他の作家の作品に手を伸ばすようにもなるのだが……それらは「クイーンには敵わないな」という印象しかもたらさなかった。しかし、ジョン・ディクスン・カーの『帽子収集狂事件』を読んだ時には、ちょっとしたパニックに陥ってしまったのだ。

お、おもしろい。ひょっとしたら、クイーンより面白いかもしれない……いや、俺はクイーンの信望者じゃないかっ! 信仰が揺らいでどうする! これは悪魔の誘惑だ……罠だ……

実際のところ、あと一押しでクイーン信者からカー崇拝者に転んでいたかもしれない。結局、カーの作品はお預けにして、ともかくクイーンを読破しようと決意し、忠誠を維持して鎧を固めた私は、今でもエラリイ・クイーン・ファンクラブの会誌を汚すのに遠慮がない。この強烈なカー体験をくぐり抜けたからこそ、中里介山やトリスタン・ツァラの誘惑に半ば膝を屈しながらも、クイーンを手放さずに“ここ”にとどまっていられるわけだ。しかし、このカー体験は棘のように私の心に刺さったままである。殴ってくれ、俺は一度だけクイーンを疑った……と、セリヌンティウスのように告悔しておこう(太宰治「走れメロス」参照)。

あぁ、スッキリした。告悔して免罪されたから、あとは勝手に書かせてもらう。とはいえ、一度はカーを封印した身……私は“よいカー読者”ではない。まぁ、そういう奴のカー談義も面白いかもしれない。

ということで、『帽子収集狂事件』(1934)を読み直してみた。初読の時は、真空投げをくらったような「えっ?」という妙に浮遊感のある“意外な解決”に魅了されたのだが、再読してみると、その浮遊感を支えるカーの手際がよく見えてきた。

この作品は、「密室」とか「不可能犯罪」を読者に突きつけて「超自然的な謎を解いてみろ」というスタイルでは書かれていない。カーについてよく言われるような“怪奇趣味”も希薄である。霧のロンドンに徘徊するナンセンスな帽子泥棒と、ポオの未発表原稿を巡って渦巻く欲望を二本の柱にして物語は展開していく……。いや、実は、展開しないのだ。冒頭で、この二本柱について登場人物がオシャベリをしているところへ「ポオの原稿の発見者の甥が、ゴルフウェアを着ているくせにシルクハットをかぶった姿で、死体となってロンドン塔で発見された」というニュースが届く。わけがわからない不条理がゴロリと読者の前に、しかも伝聞形式で転がされるわけだ。

その後は、尋問につぐ尋問になる。ある意味では退屈かもしれない。登場人物や読者の眼前でゾッとするような惨劇が起こるわけでもない。解決までの約半日……全てが、伝聞と証言とディスカッションで進んで行く。その“言葉の遣り取り”にスリルがある。まるでアメーバが運動するように、事件はその輪郭を変じながらクライマックスに向かう。

新事実を告げる爆弾発言あり、バカバカしいジョークあり、登場人物の奇妙な振る舞いがあり……ハドリー警部の推理は、コリン・デクスターが描くモース警部の仮説と同じく、猫の目が変るように二転三転する。そこに名探偵フェル博士が、ディレクションともミスディレクションともつかない思わせぶりなチャチャを入れる。繰り広げられる様々な言説は“どっちが上位か”を曖昧にしつつ相互に重なり合う。登場人物のセリフや態度が錯綜する矛盾の中に、事件に関する重要な鍵が隠されているのだ。ジョークに見えていたものが深刻な意味を秘めていたり、さりげない描写が伏線として機能したり……。最後に浮上してくるのは、事件が悪夢のような偶然に支配されていたという、悲しい喜劇のようなものだ。

密室トリックや不可能犯罪に憑かれた男。カーという作家には、確かにそういう側面もある。しかし、私がカーを読んで感心するのは、いわゆる「独創的なトリック」などではない。『帽子収集狂事件』のトリックにしても、頭脳的な犯人が練りに練った「トリック」というものではない。奇妙な現象の背後には、登場人物たちの様々な意志や勘違いが玉突き衝突するドラマが隠されている。カーは、伏線の作家であり、探偵小説における偶然の使用方法に関する第一人者なのだ。クイーンが“手掛り”から論理のアクロバットを構築するなら、カーは“伏線”を立ち上げることによってフェア・プレイに仁義をきっている。クイーンの偶然が“解決”に奉仕するなら、カーの偶然は“謎”に奉仕している。そうしたカーの側面に踏み込んだ議論がなされるべきだろう。クイズ本でネタをばらされたからといって、カーの代表作を読まずにいるのは不幸なことである。カーの作品には、謎-トリック-解決という三段論法のようなものに収まらないテクニックが駆使されている。

酔っ払い必読の爆笑喜劇である『連続殺人事件』(1941)、カーにしては珍しく読者を背中から斬るような『皇帝の嗅ぎ煙草入れ』(1942)。カーター・ディクスン名義では、キレのよいスマートなトリックの『修道院殺人事件』(1934)、遠隔殺人という魅力的なテーマの『読者よ欺かるるなかれ』(1939)。私のお気に入り作品は、それほど意外なラインナップではないだろう。ちょっと軽いテイストが強調された作品が並んでおり、濃いカー・ファンからは半畳を入れられそうだが、“怪奇趣味”とか“超自然的な謎”というイメージによってカーを敬遠している読者にもオススメできる。

最後にもう一つ告悔しよう。実は、カーの作品には結構読み残しがある。その宝の山を眺めながら、中年にさしかかった田中君は、これを全て読み終えてしまうのは、なんだかもったいないなぁ……と思っているのである。

  早川書房「ミステリマガジン」(2001年4月号)

0000-01-01 戦後ミステリガイド【本格を支えた作家】

[]岡嶋二人

岡嶋二人は、井上泉と徳山諄一の合作ペンネームである。『焦茶色のパステル』で、1982年の江戸川乱歩賞を獲得した二人は、1989年の『クラインの壷』を最後に解散するまでの8年間に、多くの作品を発表した。「ハズレがない」というのが岡嶋の作品群に対する衆目の一致するところだ。さらに、岡嶋作品の特徴として「間口が広い」ということがあげられるだろう。文章は軽快だし、連続殺人などを扱っても血生臭い印象は希薄だ。ミステリ・マニアでなければ楽しめない……という作風ではなく、本格ミステリ作家がとらわれがちな「過去の蓄積」や「先行作品群の呪縛」からも自由である。

『あした天気にしておくれ』(1983)は、そうした岡嶋作品の絶好なサンプルといえるだろう。競争馬の金の卵“セシア”(3億2千万円)が、共同馬主の一人の不手際から、一度もレースに出場しないまま骨折してしまう。この事実が明らかになれば、他の三人の馬主は賠償請求してくるにちがいない。セシアを傷物にしてしまった馬主と牧場のメンバーは窮地に立たされる。物語の前半は、追い詰められた彼らによる必死の隠蔽工作を追ってゆく。馬の偽装誘拐というユニークな設定が、犯人側の視点からサスペンスタッチで描かれるのだ。犯人たちは、馬の身代金を要求するわけだが、本気で奪取するつもりはない。本来の目的は共同馬主たちに身代金の支払いを拒否させ、セシアを闇に葬ることにある。ところが……計画を知った謎の人物から脅迫状が届く。偽装誘拐を暴露されたくなかったら身代金をよこせ、と……。犯人グループ内でのディスカッション、馬主たちの駆け引き、脅迫者の正体に関する推理、さらに警察までからんで緊張は一気に高まり、事態は思わぬ方向へ展開してゆく。意外な脅迫者の正体は……?

物語が佳境に入ったところで、身代金の奪取方法に係わる切れ味のよいトリックが用意されている。このトリックに「先例がある」というのは周知の事実だが、問題はトリックの扱い方である。

岡嶋は、基本的にトリック・メイカーである。一つのトリックを中心に作品は構築されている。その構築の仕方に、岡嶋ならではの手際がある。トリックに最適なシチュエーションや物語展開が貪欲に追求されるわけだが、前述したように、岡嶋には過去のミステリへの「こだわり」のようなものはない。殺人事件があり、名探偵が登場し、トリックを暴き、犯人を指摘するという「紋切り型」への執着がないのだ。もちろん、そのような形式の人気は根強いし、決して形骸化したわけでもない。しかし、紋切り型に押し込めることで死んでしまうトリックがあるのも確かなのだ。岡嶋は、あくまでもトリックを生かす方法を追求する。結果として、『あした天気にしておくれ』のような、犯罪サスペンスに絶妙なトリックが交錯する、洗練された本格ミステリが生まれることになる。

合作者の一人である井上泉は、コンビ解消後も「井上夢人」のペンネームで執筆を続けている。井上の『ダレカガナカニイル…』(1992)や『プラスティック』(1994)といった作品におけるアイディアとその処理の仕方は、岡嶋時代の手法をさらに発展させ、ミステリという枠組みまでも揺さぶるスリルに満ちている。


[]島田荘司

本格ミステリには「パズルを小説にしたようなもので、人間が描かれていない」とか「密室だの名探偵だのにはリアリティがなく、社会と切り結ぶアクチュアリティがない」という非難が浴びせられてきた。本格を擁護する側も、それを裏返す形で「いや、それこそが探偵小説の本道だ」とか「人間だの社会だのに直結する芸術なんぞ、なんぼのもんじゃい」といった論を立ててきた。戦前から戦後にかけて行われた、甲賀三郎や木々高太郎や江戸川乱歩による議論、あるいは英米黄金期以降に問題となったようなプロブレマティーク……つまり、ミステリは芸術たりうるか? は(様々な折衷的作品が書かれたにしても)、結局は解決できるようなものではなかった。一方で、大衆文学や異端文学の見直し、文壇文学の解体、あるいはテキスト論や構造分析などを通して……つまり、芸術=文学概念の動揺という外的な状況の中で、ミステリの地位は変容した。笠井潔の評論活動は「ミステリVS芸術」という対立図式を、以上の経緯を踏まえてミステリ論の側から解体する決定的な試みである。

島田荘司も『本格ミステリー宣言』(1989)『本格ミステリー宣言Ⅱ』(1995)で独自のミステリ論を展開しているが、ミステリを幻想小説として明確に位置付け、文学への「信」に基づいた島田の立論は、笠井などの「芸術相対化」傾向と一線を画す。むしろ、木々の「芸術主義」に近いものがある。

唐突かもしれないが、島田には大江健三郎のイメージが重なる。両者に共通するのは、何でも小説に還元してしまう筆力、よい意味での(?)俗情との結託、妥協的な折衷路線を踏みにじる遠慮のなさ……洗練された小奇麗な「小説」に収まらない野蛮なセンスである。それは、小説というものの本質に係わる「何か」である。『奇想、天を動かす』(1989)は、前述した島田の「本格ミステリー論」の、実作における最良の成果であり、探偵小説というフォーマットを経由して、「何か」を垣間見せてくれる作品だ。

消費税導入直後の平成元年四月……浅草で12円の消費税を請求した菓子屋の主婦が、刺殺される。犯人である浮浪者風の老人は、警察の取調べにも黙秘を続けるだけ。刑事の吉敷は、この老人に興味を抱き、彼の過去を調べ始める。こんな地味な発端から、舞台は北海道へと広がり、時間軸は終焉したばかりの「昭和」を貫いて伸びていく。そして、明らかにされる驚くべき事実の数々……

この作品には、良かれ悪しかれ島田荘司のエッセンスが凝縮されている。吉敷が活躍するシリーズとは別系列の“名探偵”御手洗潔シリーズにも通じ、『秋好事件』(1994)や『三浦和義事件』(1998)といったノンフィクション・ノヴェルに繋がってゆく味もある。「あらすじ」は、あえて明かさないが、乱歩風のロマンティックな幻想があり、それを解体する“開いた口が塞がらない”ようなトリックがあり、松本清張を思わせる社会批判があり、一人の男の人生があり、メタ・フィクション的趣向があり……それらが束になって読者を圧倒する。「そんなバカな」「辛気臭い」「純粋なパズル小説としてはどうも」などと、引いてしまう読者もいるだろう。しかし、そんな批判を喚起するところに……そして、それを恐れないところに、折衷主義を超えた島田の力強さがある。


[]竹本健治

「本格」と呼ばれている謎解き小説については、即物的な剥き出しの「構造」が、よく指摘される。「謎/解明」という図式、手掛りは提示すべしという「フェアプレイ」に代表されるルール、蓄積されたトリックの換骨奪胎再生産……。笠井潔による二巻本『探偵小説論』(1998)などに従えば、この構造性を呪縛として被りきりながら、その背後へ突き抜けるのが「アンチ・ミステリ」ということになる。この用語法は、中井英夫の『虚無への供物』(1964)あたりに端を発しているようだが、以後様々な作品が「アンチ・ミステリ」の周囲を通り過ぎていった。1980年代後半からの「本格」復興ブームも、ミステリの構造に執着し、それを問い直すアンチ・ミステリ志向にに支えられていたといってよい。そして90年代に入り、呪縛が解体された場所から、構造性を単なる操作対象として扱う作品が多く見られるようになる。

竹本健治の『匣の中の失楽』(1978)は、真正のアンチ・ミステリである。ミステリ・マニアの若者たちの間で起こる連続密室殺人事件というメイン・ストーリイが、奇数章と偶数章のそれぞれが互いを作中作として含みつつ、小説世界の地平を常に小説内部に繰り込みながら展開してゆく。そのネジレた構造が収斂してゆく先は……

この仕掛けは、それほど複雑なものではなく、一種幾何学的明解さに貫かれている。読者を戸惑い面食らわせるかもしれないが、「騙す」策略ではない。しかし、その道行きで惜しげもなく消費されていくトリックや、現代物理学・数学論・オカルト的な薀蓄に彩られた推理=解釈合戦は、それ自体瞠目すべきものだし、それら散りばめられた意匠が作品の構造に送り返され、自己言及的な悪い熱を帯びて状況が煮詰まってゆくサスペンスには、比類するものがない。様々なメタ・ミステリやアンチ・ミステリが試みられてきたが、竹本自身の作品も含めて、『匣の中の失楽』を超える作品は生まれていない。

ミステリのファンとは妙なもので、「アンチ・ミステリ」をありがたがったりする。この事実には、ダダイズムのようなアンチ・芸術運動すら「芸術」に回収してしまう幽霊的イデオロギーの運動とは、違ったニュアンスが感じられる。ミステリの即物的な構造性によって“それ”が単なる「非・ミステリ」であるか「反(アンチ)・ミステリ」になり得ているかが峻別されてしまうからに違いない。

とはいえ……単純素朴に、アンチ・ミステリはミステリ嫌いにも(あるいは、反・ミステリ主義者にこそ)アピールするはずだ。おそらく『匣の中の失楽』は、そのレベルに達している。ミステリ的な構造を「ずらす」とか「脱臼させる」という作業によって、結局のところミステリ・ファンにしかアピールしない作品とは一線を画している。

竹本自身が、「ミステリ」及び「ミステリ読者」に違和感を感じていることは、『ウロボロスの偽書』(1991)や『ウロボロスの基礎論』(1995)などを読めば明らかだが、それらにおける竹本の試みは、前述した意味での「アンチ・ミステリ」というよりは「ミステリでないもの」に向けた遠心力に支えられている。『匣の中の失楽』は、あくまでミステリを巡って求心的に展開しながら、その構造を支える一点に向けられた必殺の一撃なのだ。

繰り返しておこう。『匣の中の失楽』は、真正のアンチ・ミステリである。


[]都筑道夫

都筑道夫の『三重露出』(1964)には、実験小説的な色彩が強い。メタ・フィクション(メタ・ミステリ)趣向が凝らされ、様々なパロディも試みられている。

この作品のタイトルは、作中作として読者に提示される小説のタイトルでもある。作中小説の「三重露出」は、S・B・クランストンという外国人が執筆したことになっている。日本を舞台にしたスパイ小説で、外国人記者がひょんなことから事件に巻き込まれ、現代に生きる女忍術使いなどがからんでハチャメチャな展開をみせる。コミカルなお色気アクションのスタイルをとり、外国人の目を通して戯画化された日本の風俗や、「ニンジュツイスト(忍者)」「サイゾー・ザ・ミストマン(霧隠才蔵)」といった翻訳(逆翻訳)語で笑わせてくれる。この「三重露出」の翻訳者が、作中人物の中に、過去に殺された恋人の名前を見つけたことから話はヤヤコシクなってくる。「三重露出」が展開する章の間に、翻訳者の日常と過去の事件にまつわる回想、犯人探しの推理などが挿入されてゆく。謎の作家クランストンとは何者か? 過去の事件とどのような関係があるのか? 犯人は?

現在もっとも入手しやすいのは講談社大衆文学館版だろうが、そこに併録されている『猫の舌に釘をうて』(1961)も、「犯人=探偵=被害者」というハードルを設定し、それを冒頭に明示したうえで、なおかつ読者の裏をかこうとするアクロバティックな作品になっている。1960年代に書かれた都筑のマニアックな作品は、1990年代におけるメタ・ミステリの隆盛や、折原一による叙述トリック作品などの先駆として考えることもできる。しかし、こうした試みは常にミステリの歴史に潜在していたと考えた方がよい。

そもそも、英米黄金期における、ノックスの十戒やヴァン・ダインの二十則などの本格ミステリを縛るルールの設定や、「読者への挑戦状」といった趣向は、「小説そのもの」をオブジェクト・レベルに置き、その上位レベルにおいて読者と屈折した関係を切り結ぶ作業にほかならない。視野を広げれば、心理サスペンスやハードボイルドにもサンプルを見つけることができるだろう。

メタ・ミステリというと、本格=パズル=ゲーム路線の帰結と考えられがちだ。確かに「本格」における読者を過剰に意識した対決姿勢や遊戯性、あるいは明確な構造性が、この傾向を誘引し、助長するに違いない。しかし、様々な実験的手法は、黄金期以降の欧米におけるサスペンス小説の場面でも多く試みられてきた。国書刊行会から今年になって翻訳されたC・マケイブの『編集室の床に落ちた顔』(1937)なども実験小説趣向の作品だが、そのベースになっているのは黄金期風の謎解き小説というより、J・M・ケイン風のサスペンスフルな犯罪者不条理小説である。『三重露出』は、「B級アクション小説」をベースにメタ・ミステリを構築している。

マケイブにしろ都筑にしろ、不条理小説なり、アクション小説を否定的媒介とした「本格」志向に特徴的なのは、形式や構造以前に、叙述や小説的言説そのものに躓くような感覚である。都筑は、翻訳者・編集者として海外ミステリの紹介にたずさわり、一方で落語や大衆文芸にも造詣が深い。そんなキャリアに象徴される言語感覚が、『三重露出』にはストレートに生かされている。