市川尚吾の蔵出し

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2013-09-19

[]大場美奈がチョキを出したのはなぜ? 18:48

昨日行われた第四回AKB48じゃんけん大会の準決勝、上枝恵美加と大場美奈の一戦は、お互いにグーばかり出して五回あいこが続いた後、大場がチョキに変え、上枝の(六回目の)グーに負けて敗退した。

それを「わざと負けた」と考えるのは安直である。「負けようとした」可能性ももちろんあるが、ちゃんと「勝とうとして」戦略でチョキを選んだ可能性もある。

あれだけグーのあいこが続くと、会場の空気も微妙に変化してくる。特に地上波で生中継を担当していたフジテレビ関連の現場スタッフが、おいおい決勝戦が放送できなくなるんじゃないか、ここで尺を取るなよ早く決着しろよ、という空気を出していた可能性がある。次で決着してほしい、たとえあいこでも、グーのあいこだけはさすがにまずい感じの空気が、あのステージに流れていたとしたら。自分が感じているこの空気を相手も感じているはず。だから次は空気的にグーを出せない。となるとチョキを出しておけば負けはない、逆にパーを出すと勝ちがない、という読みが(次は絶対にグーは出せないだろうという空気の変化をあのステージで如実に感じ取っていたとすれば)深読みじゃなくて、当然の選択ということになる。むしろ勝利した上枝のほうが、そういう空気を読んで、大場がチョキで来ることを推理してあえてグーを出したという可能性まである。もちろん「勝っても負けてもグーしか出さない。放送時間枠? そんなの知らない。勝ちたかったらとっととパーを出してね大場さん」という程度の考えだった可能性もある。というかその可能性のほうが高いか。でも大場が「次も上枝さんはグーを出すだろう。だから負けるためにチョキを出した」のではないか、という推理は単純すぎると思う。大場のほうが空気が読めて、次はさすがにグーを出せないと感じた、そこからパーではなくチョキを選択した心理は、深読みしようと思えばいくらでも深読みできるのである。

そもそも上枝恵美加は(テレビで見ていた限りでは)、選抜入りを決めた後、藤江に勝ってベスト8に進出したあたりで「もう充分。次は負けてもいい」という感じに見えた。菊地に勝ったときも「勝っちゃった。ちょっとヤバい」という表情をしていたし、大場との対戦では「負けてもいい。てか正直ここらへんで負けたい。自分のようなNMBのメンバーが、AKBのシングル曲のセンターを務めるなんて荷が重過ぎるし、ここで勝っちゃうと二分の一の確率でその可能性が出てくる。マジでここで負けとかないと」という雰囲気が全面に出ていたように見えた。だから大場との対戦でグーのあいこが続いたときに、四回目あたり、自分からチョキを出して負けるかなと思って見ていたのだが。もしかすると「でも後発のHKTにまで追い抜かされそうなNMBの人気を盛り返すために(そのNMBの中でも不人気と言われるチームB2のキャプテンとして)ここで勝ちたいという気持ちもある。だから運を天に任せた。もうグーしか出さない」と考えていたのだろうか。こちらの心理も「どこまで勝ちたかったのか、負けたかったのか」という観点で深読みできるのである。

[]じゃんけん大会の八百長疑惑について 18:48

去年の大会優勝者である島崎遥香が全部チョキを出した(一回チョキであいこになったときはパーで勝った)というので、次世代エース候補だった島崎が優勝したという結果とあわせて「八百長だ」という説を立てた輩が多かった。

そして今年の結果である。次世代エース候補のひとり、SKE48の松井珠理奈が全部パーで優勝したので、やはり「八百長だ」という説を主張する輩が(主にネット上で)大量に涌いて出ている。

しかし大会参加者83名のうち、この人が優勝したら八百長を疑うというポジションにいるのは、何も島崎や松井珠だけではない。小嶋真子も大和田南那も言われただろう。大島優子、高橋みなみ、小嶋陽菜、渡辺麻友、柏木由紀、横山由依、渡辺美優紀、武藤十夢、川栄李奈、宮脇咲良、朝長美桜は当然言われるだろうし、古畑奈和、大島涼花、入山杏奈、岩田華怜、島田晴香あたりも言われるかもしれない。およそ25%の確率で八百長疑惑が発生するのである。永尾まりや、阿部マリア、藤江れいな、菊地あやか、兒玉遥、矢倉楓子、白間美瑠、大場美奈、市川美織、高橋朱里あたりも優勝したら八百長と言われるかもしれない。結局この手の話はキリがないのである。

同じ手ばかり出していたというのも、非難には値しない。

一般人が「おーい、今からじゃんけんしようぜ」と言って始めるじゃんけんとはわけが違う。一ヵ月前には対戦カードが抽選で決まってトーナメント表が発表されているのである。勝ち進めばシングル曲の選抜メンバーに入り、優勝すればそのセンターを任されるのである。かかっているものが大きい。ジュースを好きな順に選べるとか、そういう市井のじゃんけんとは価値が違う。初戦の相手が決まっている場合も多く(四人に三人の割合。初戦が「AさんとBさんの勝者」という形になっているのが四人に一人の割合)、公式ガイドブックには過去の大会で出した手の割合などの情報も掲載されていて、前もって何を出すか決めて大会に臨むメンバも多くいることが想像される(一方で前もって何も決めずにおいて、当日その場で何を出すか決めるという戦法で臨む人も一定数いることは想像できる)。

市井のじゃんけんとは大きく違う点がもうひとつあって、それはあの会場の雰囲気である。一万人の観客が勝負を見守っている。テレビ中継もある。もちろんすべてのメンバが、過去には数万人の観客の前でドームコンサートなども披露した経験を持っているわけだが、十数人とか数十人とかで歌う場合には、自分だけが注目されているわけではないというのと、普段から劇場で恒常的に250人の観客の前で歌って踊っているのが経験としてあって、歌とダンスはそれほどアガらずにこなせるようになっている。でもじゃんけんという勝負事を、確実に今は自分たち二人が主役というステージに立って行うというのは、けっこう緊張するものだというのは、ちょっと想像してみればわかること。その会場の雰囲気に舞い上がってしまって頭の中が真っ白になり、何を出していいかわからずに咄嗟にグーか何かを出して負けるとか、大いにありそうなことである。それだと悔いが残る。

だから前もって何を出すか決めておきたい。どんなに舞い上がってもこれを出すと決めておいた手を出す。それなら「舞い上がって実力が出せなかった」という悔いは残らない。負けても「やれるだけのことはやった」という満足感がある。というわけで「その場で決める派」だけでなく「前もって決めてゆく派」がいること、それもけっこう大勢いることは、理解していただけることと思う。

さて「前もって何を出すか決めてゆく派」だが、「初戦の第一手だけ決めて行ってあとはその都度考える」という人が多数だとは考えにくい。準備期間が一ヵ月もあって緊張しても悔いが残らない「前もって決めてゆく派」を選んだ以上、第一手があいこだった場合のことを考えないはずがない。あいこになった途端、もう準備していた策が尽きた状態となり、頭の中が真っ白になってテキトーな手を出して悔いが残る結果になるのは、当然想像の中にあるだろうし、それを避ける手も当然考えてゆくはずなのだ、そういう人たちは。一手で勝負が決まり、トーナメントを勝ちあがって次の対戦になった場合でも同じである。初戦の相手に出す手は前もって考えていたが、二戦目以降はなりゆき任せ、というのは一貫性がない。やはり「前もって出す手を決めてゆく派」の人は、最初の一手だけでなく、二手目三手目と、出す手を準備してゆくのが普通だと考えられる。

だとすれば「パーパーグーチョキパーチョキパー」のローテーションを繰り返す、というような決め方をする人がいないとは言えないが、「前もって決めてゆく派」の多くが「今日は全部グー」とか「全部パー」とかといった決め方をしているのではないだろうか。一見大雑把に見えるが、グーならグーと出す手を決めて、これで負けたら仕方が無いと割り切るのは、心理的に非常に納得できる考え方である。

「同じ手ばかりを出していると相手に読まれる」という弱点もあるが、たとえば上枝恵美加の視点で言えば、決勝の相手が最初から松井珠理奈に決まっていたら、初戦からずっと松井珠の手を記憶してきて、全部パーじゃん、じゃあチョキ出せば勝てるじゃん、という戦略は立てられるだろう。しかし実際には誰が勝ち上がってくるかは誰にも予想できないのだ。なので「全員の手を初戦から記憶しておいて、負けた人間は間引いてゆく」という戦略が取れるほど優れた記憶力を持つ人間ならばともかく、普通の人間の場合には、ベスト8とかベスト4に残った段階で「次に勝てば珠理奈さんと平田さんの勝者と当たる、だから勝者が何で勝ったか記憶しておこう」ぐらいのことしか考えられないのではないか。

つまり視聴者からすれば岡目八目で(あとテレビやツイッターの情報などから)、松井珠理奈が今日はパーしか出してないというのは「わかっている」のだが、現場でステージに立っている上枝恵美加にはそれが「わかってない」のが当然。逆の立場で言えば、今日一日同じ手を出すと決めて大会に臨んでも、対戦相手がそれを見抜いて自分が負けるという可能性は、あまり考えなくてもいいのである。

というわけで「今日は全部同じ手」と決めて大会に臨んでいるメンバは、視聴者が思っている以上に多いのである。しかし多くが初戦で敗退したり二戦で敗退したりしているので気づかれない。またあいこの場合は特殊で、大会参加者は過去に予備選等で「同じ手のあいこが続く」という事態の当事者になったり、目撃者になったりしたことがあるはずである。「今日は(あいこも)全部同じ手」派のメンバ同士の対戦で、その決めている手までが同じだった場合、何度も同じあいこで勝負がつかない状況になる(今回の上枝対大場の準決勝のように)。本選でそれをやると尺を取るし会場の雰囲気がおかしくなるので、それを避けるために「あいこの場合は早めに手を変える」というサブルールを用意して大会に臨むメンバもいるだろうと想像できる(去年の島崎のように)。だからあいこで手を変えたメンバも「今日は全部同じ手(ただしあいこの場合は除く)」だった可能性はあるのだ。

要するに「全部同じ手」で大会に臨んだメンバがどれだけいるか、想像してみればいいのだ。83人の参加者中、たとえば30人そういうメンバがいたならば、同じ手ばかり出すメンバが優勝する確率だって四割になるわけで、二年続けてそういう事態になることも何ら不自然ではない。「珠理奈だから不自然」「同じ手ばかり出して勝ったから不自然」という主張は、確率論的に言って充分に「ありえる」範囲にとどまっている。こんなことは絶対に「ありえない」から「八百長だ」、という結論には至らないのである。

「優勝したら出来すぎ」なメンバが「同じ手ばかり出して優勝する」確率は、けっこう大きい。具体的な数字は根拠がないので出さないほうがいいのだが、感覚的なレベルであえて言えば、5%は余裕であるだろう、10%ぐらいはあるのかな、という感じだと思う。それが「ありえない」から「八百長だ」と考えるならば、好きにすればいい。個人的には不正を疑うのに充分な確率に達しているとは思わない。ミステリ的に言えば、現場に落ちていた犯人の体液の血液型がAB型、あなたもAB型、だからあなたが犯人だ、というのと同程度のずさんな証明に思える。疑う根拠がそれだけだとすれば、疑っているほうがおかしいレベル。

自分がAKBが好きだから、とかじゃなくて、八百長説をとなえる人のそういう部分での「論理性の欠如」が気に入らないので、俺はあえてこんなことを書いているのである。

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